ショーペンハウアー 欲望にまみれた世界を生き抜く_梅田孝太 はじめに 苦しみに満ちた人生  「運命がカードを切り、わたしたちが勝負する」 -。ショーペンハウアーによれば、人生はいつも 思いどおりにはならず、ぎりぎりの勝負の連続であ る(『幸福について』第五章第四八節、邦訳三二八頁)。  わたしたちは、生きる目的など見出せないままに、 やってくる課題にひたすら対処し続け、与えられた 状況のなかで最善の一手を模索し、時には失敗しな がらも、日々をかろうじて生きている。もちろん、 未来を正確に予測することなどできはしない。わた したちの頭脳はそこまで賢明ではない。内なる衝動 のようなもの、研ぎ澄まされた本能的なカンにした がって選択肢を選ぶはかない。明日、勝負に負ける のは自分かもしれない。  現代社会はとにかく生きづらい。昨今は、いよい よ厳しく勝者と敗者が分かれてしまう状況にある。 運命が用意する手札は、多くの人にとって、あまり に貧相なものばかりだ。こんなことなら生まれてこ ないほうがよかった。そう囗にする若者が増えてい る。この考えは「反出生主義」とも呼ばれ、大きな 議論を呼んでいる(第四章で詳述する)。  国内の状況を一瞥するだけでも、出口のない生き づらさが現実の問題となって横たわっていることが わかる。少子高齢化に歯止めはかからない。気候変 動問題によって、将来の経済発展に期待はもてない。 地域間で、世代間で、格差は広がり続けている。多 くの人がもはや家庭を築くことを望めないほどに賃 金水準は低いままで、政治不信も募る一方だ。生ま れを努力によって凌駕することは、一部の例外をの ぞけばほとんど不可能なことにさえ思える。  世界に目を向けてみても、格差と対立がさまざま な場面で大きな亀裂を生じさせていて、セーフティ ネットが十分に機能していない。流行に乗り遅れ、 既得権益にもありつけず、「自分らしさ」を上手く お金に換えられなかった人々は、社会のお荷物とし て見下され、自己責任だと言われながら、一方的に 搾取されている。  もちろん、経済的な豊かさだけが人生の目標では ないだろう。「自分らしく生きること」は、経済的 に豊かになって自分の欲望を満足させることと同義 ではない。だが、わたしたちがこの社会で生きてい くための原動力は多くの場合、欲望である。何かを 手に入れたい、周囲の人や世間からよく思われたい と願うからこそ、わたしたちは日々努力し続ける。 生きていくためには、欲望は不可欠の活力源である。  欲望があるからこそ、それが叶わないときの挫折 があり、苦しみがある。誰もが自分の欲望の満足を 優先させようとするのだから、欲望が動かしている 社会には必ずと言っていいほど格差や分断が生まれ、 貧困と搾取が生じてしまう。このような社会では、 自分が豊かになったとき、必然的に別の誰かが犠牲 になっている。わたしたちは日々、そのような勝負 に巻き込まれている。  人生は苦しみである。こう聴くと、「私は今そう 感じていない」、「私の人生は幸せだ」と言い返した くなる人もいることだろう。だが、それは主観的な 思い込みというものではないだろうか。その主張は、 正確に言えば、「現時点で私は苦しみを感じていな い」、ということだろう。現時点ではかろうじて選 択を間違えずに済んでいるだけで、実は、次の瞬間 にも大切な何かが失われてしまうかもしれない。本 当は誰もが知っているはずだ。この世は理不尽にで きている。努力はいつでも報われるわけではない。 犯罪や災害、病気、そして死は、誰にとってもすぐ そばにある。  本書で考えていくのは、客観的に理解すれば、人 生は本質的に苦しみである、ということについてで ある。もちろん誰もそんなことを理解したくはない だろう。だが、いつまでも目を逸らし続けるわけに はいかない。大切なものを失ってしまったら、明日 の勝負で負けてしまったら、いやでも客観的な現実 を直視することになるのだから。それゆえ、人生に ついて客観的にI哲学的に考えておくことが必要 なのである。  はたして、生きていくとはどういうことなのか。 苦しみに満ちた人生を、いかに生きるべきか。こう した問題に取り組んだ先駆者が、一九世紀ドイツの 哲学者ショーペンハウアー(一七八八~一八六〇年) である。その主著『意志と表象としての世界』で示 された思想は、生の峻厳なる本質を明らかにしよう とするものであり、究極的には「意志の否定」に至 るものである。生きることは苦しみだという主張で 有名なので、その思想はペシミズムだとよく言われ る。また、一般的には『読書について』など、鋭い 箴言が今日でも読み継がれている。 生きる苦しみからいかに解放されるか  今、ショーペンハウアーを読む意義の一つは、人 生の勝負からいったん離れて、人生とはそもそも何 なのかを客観的に考えることができるような、哲学 的な思考空間を頭の中にしつらえることができると いうことにある。これは、とりわけ生きづらさに拍 車がかかった現代社会に生きる者にとって一種の救 いになるような、哲学書を読むことの重要な意義の 一つだといえる。ただし、こうした思考空間の確保 という意義は、ほとんどいかなる西洋哲学にも見出 すことのできるものだといえるだろう。  だが、ショーペンハウアー哲学の思考空間には、 他に類を見ない傑出した特長がある。ショーペンハ ウアー哲学は、西洋の伝統に根ざしながらも、その 中心思想に西洋思想史上初めて古代インド哲学や仏 教思想を取り入れた哲学であり、いまや世界中で読 者を獲得し、いわば世界哲学としての地位を得た稀 有な哲学なのである。その真骨頂が「意志の否定」 であり、ショーペンハウアーが思索の果てに見出し だのは、生きる苦しみから解放される「解脱」の境 地だった。これがショーペンハウアー哲学の比肩す るもののない特色であり、色あせることのない魅力 である。  本書はショーペンハウアー哲学の入門書である。 とりわけ、読者が生の本質についてショーペンハウ アーと共に考えていけるような本にすることを目指 して、その哲学のエッセンスを抽出することにした。  「求道の哲学」と「処世の哲学」  このような本を書こうと思ったのは、欲望を原動 力としてきた現代社会が、そしてそれを動かしてい る人々の心が、いよいよ限界に達しようとしている と思えてならないからだ。資本主義の仕組みは、ど こまでも発展し続けることを前提としている。すな わち、絶えず利潤を求め、次々に新しいものを開発 し続け、より豊かになることを目指して「経済を回 す」のでなければ、資本主義社会は崩壊してしまう。  しかし、この社会で生きる者たちの多くは、幼い 頃から出逢ってきた周囲の人々が次々に視界から消 え、ドロップアウトしていく死屍累々の現状を目の 当たりにし、欲望に駆り立てられ続けて生きること に、勝負し続けることに惓み疲れ、失望し、限界を 感じているのではないだろうか。わたしたちは今こ そ、ショーペンハウアー哲学を手がかりに、生の本 質を見つめる必要があるのではないだろうか。  本書は、ショーペンハウアーが示した生きる苦し みとの向き合い方を、二通りの思想として示すもの である。その一つが、主著『意志と表象としての世 界』で提示された、徹底的な欲望の否定である。 ショーペンハウアーは、生きる苦しみと向き合い、 苦しみの源泉にほかならない欲望を否定し、エゴを 超えていこうとする。彼が示しだのは、厳しい否定 による悟りの境地-「意志の否定」を終着点とす る、〈求道の哲学〉である。  ショーペンハウアーの言葉は厳しいばかりではな い。いわば飴と鞭のように、読者を叱咤激励しなが らも、その心に寄り添って理解を示し、その苦しみ をユーモアを交えて代弁し、人生の指針を考えるた めのヒントを与えてくれる。だからこそ、人生の悩 みに効く思想として、現代に至るまで読み継がれて きたのだといえる。  ショーペンハウアー哲学のそうした側面を本書で は〈処世の哲学〉として特徴づける。彼の晩年の書 『余録と補遺』は、主著とはかなり趣が異なってい る。もちろん、主著の「補遺」なのだから、思想の 核心が「意志の否定」にあるという点は変わってい ない。だが、そこには主著には収められなかった メッセージが書かれている。主著が求道を勧める書 であるのに対して『余録と補遺』は、「意志の否定」 の重要性を理解できているために、欲望にまみれた この世にうまく馴染めないけれども、それでも生き ていかなければならない人のための処世の知恵とし て書かれている。そこでショーペンハウアーが示し てくれるのは、心穏やかに生きるためになるべく欲 望を「あきらめる」ことで苦悩を少なくしようとす る思考法であり、どうにもならないことをどうにも ならないと「あきらかにする」、処世の哲学である。  本書は以上のようなショーペンハウアー思想の二 つの側面を対比したうえで後者の人生論にもしっか りとスポットライトを当てる点で、類書のないもの になっている。また、本書の特徴として、ショーペ ンハウアーの哲学にふれることが「心のケア」にな るということを明らかにしたいと思っている。哲学 は古代ギリシア以来、伝統的に「魂の世話」だと考 えられてきた。ショーペンハウアーもこの伝統の一 員であり、彼の示した哲学は、とりわけ現代人が必 要としている「心のケア」になりうる。  以上のコンセプトを実現するために、本書は四章 構成とした。第一章ではショーペンハウアーの生涯 について紹介し、彼がなぜ「意志の否定」を求めた のか、哲学者ショーペンハウアー誕生の瞬間に迫る。 第二章では、主著『意志と表象としての世界』で示 された〈求道の哲学〉の内容を見ていく。これと対 になるものとして、第三章で『余録と補遺』の思想 を〈処世の哲学〉と特徴づけて紹介する。以上の議 論の応用編として、第四章ではショーペンハウアー 哲学のアクチュアリティについて論じる。以上の構 成によって本書は、峻厳なる哲学の道への導きであ り、人生の悩みに効く処方箋でもあるショーペンハ ウアー哲学の核心に迫っていく。  目 次 はじめに   苦しみに満ちた人生   生きる苦しみからいかに解放されるか   「求道の哲学」と「処世の哲学」 第▽草 哲学者ショーペンハウアーの誕生-その   生涯と旅路  I「意志の否定」の哲学者   憂鬱と暗黒の時代   アルトウールという名   ショーペンハウアー少年の葛藤   ショーペンハウアー哲学の原体験  2 生涯と旅路   ショーペンハウアーの修業時代   主著執筆期   フランクフルト時代 第二章 悲惨な生と「意志の否定」-主著『意志   と表象としての世界』における求道の哲学  I 世界はわたしの表象である  求道の哲学  世界の凝視  表象とは何か  時間・空間・因果性 2 意志と表象としての世界  わたしとは何か  わたしは身体であり意志である  生きようとする意志  意志としての世界  意志と表象はいかなる関係にあるのか 3 どうすれば欲望から自由になれるのか   意志の否定   芸術とは何か   芸術とイデアの諸段階   共苦による意志の否定   宗教的禁欲の本質は意志の否定である 第三章 人生いかに生きるべきかI晩年の『余録   と補遺』に見る処世の哲学  I ショーペンハウアー哲学のもう一つの側面   求道の哲学/処世の哲学   パレルガーウント≒ハラリポメナ  プードルと散歩する哲人 2 ショーペンハウアーのアフォリズム  自分で考えること  「心理学的覚え書き」から 3 幸福とは何か  『幸福について』という書物  幸福についての臆見  三つの財宝  内面の富  生きることと老いること  魂の世話 第四章 ショーペンハウアー哲学のアクチュアリ   ー   テイ  ー 明治日本におけるショーペンハウアー受容   井上哲次郎、ケーベル、高山樗牛   「人生問題」とショーペンハウアー  2 ショーペンハウアーと反出生主義   ベネターの反出生主義   ショーペンハウアーは反出生主義者か  3 「歴史的なもの」からの脱出   ショーペンハウアーと「歴史的なもの」   「歴史的なもの」からの自由   居場所なきものの居場所 おわりに 註釈一覧 読書案内 第一章 哲学者ショーペン(ウアーの 誕生 -その生涯と旅路 1「意志の否定」の哲学者  人生のゴールはどこかにあるのだろうか。毎日必 ず食べて、飲んで、寝て、死ぬまでその繰り返しが 続く。家族と仲良く暮らし、たくさんの友だちとつ きあい、学校で貞剣に学び、かけがえのない恋人を つくり、好きな仕事を見つけ、幸せな結婚をし、素 敵な住まいを整え、できればかわいい子どもをつ くってI人間の欲望には限りがない。少しでも多 くの欲望を満足させるために、わたしたちは日々を 暮らす。  だが、生まれに恵まれなかったり、ふいに選択を 誤ったりすれば、すぐに落伍者になってしまう。運 命はいつも非情だ。無理解な他者はどこにでもいて、 いつでも挫折はすぐ次の曲がり角で待っている。何 かを成し遂げて楽しい思いをすることがあっても、 必ず退屈がやって来て、幸福感は長続きしない。満 たされることのない欲望に振り回され続ける人生に は、ゴールというものがない。  生きることは苦しみにほかならない。哲学の主題 として人間の「生の悲惨さ」を見つめ、このことを 客観的に明らかにした哲学者が、ショーペンハウ アーである。欲望に駆り立てられる人生の彼方にあ るような、峻厳なる自由の境地を目指したい。そう 考えるひとにとって、ショーペンハウアーは偉大な 先駆者だといえる。ショーペンハウアーの哲学は、 「意志の否定」の哲学である。すなわち、わたした ちを死ぬまで操り続ける「生きようとする意志」か らの自由を求める哲学だ。ショーペンハウアーは、 なぜ哲学者になり、このような自由を求めたのか。 第一章では、ショーペンハウアー哲学の誕生の秘密 に迫る。 憂鬱と暗黒の時代  ショーペンハウアーはどのような時代を生きてい たのだろうか。一九世紀ドイツは、革命の夢が挫折 して憂鬱さに覆われ、伝統的な道徳や社会システム も機能不全に陥り、先が見通せない暗闇の中にあっ た。  これに先立つ時代は、夢と希望に満ちた時代たっ た。一七八九年のフランス革命やその後のナポレオ ンの進軍は、旧体制の打倒と市民による革命の実現 という夢をヨーロッパ中に与えたのである。人々は 近代市民社会の一員として、これまでにない政治的 な自由や統一的な秩序を実現できるはずだと期待に 胸膨らませた。だれもが平等で共通な理性をもって いて、利害を超えて結びつき、気高い理念によって 現実をより善いものに織り直すことができるはずだ  しかし、ナポレオンの敗退後、ヨーロッパでは王 政に回帰した保守的な国際秩序であるウィーン体制 が反動的に成立し、革命は勢いを失ってしまう。そ の後、市民たちの闘いはヨーロッパ各地で息を吹き 返し、再び革命(「一八四八年革命」)を巻き起こして、 ついに旧体制を相当程度崩壊させるに至った。ドイ ツでも「三月革命」が起こった。だが、その結果、 一九世紀後半のヨーロッパに現れたのは、自由・平 等・統一という理念に導かれた秩序ではなく、市民 も国家も利害を最優先して争い合う、暗い欲望にま みれた混沌だった。  いつの間に理念は失われてしまったのだろうか。 一九世紀の初めには農業国たったドイツにも、その 世紀後半までには産業革命による工業化の波が急激 に押し寄せ、土地から切り離された労働者たちは、 劣悪な環境に押し込まれていった。政治がセーフ ティネットを用意しないままに自由主義経済に舵を 切った結果、貧困層が拡大し、階級間の対立が深ま り、人々は理念よりも実利を求めるようになったの である。一九世紀は、資本主義の光と影がダイナ ミックに社会を揺り動かし、歯止めなく暴走した時 代たった。  多くの人々が、理念に従って社会を織り直すより も、エゴイスティックに利益を求め、そのために合 理的に社会を構築する欲望に操られていった。 ショーペンハウアーは、いまや世界中を支配しよう とする欲望の歯車に抗うために「否定」の哲学を構 想し、欲望から自由な生き方を模索していくことに なる。そのきっかけについて見ていこう。I。 アルトウールという名  名前というものは、ときとして祈りとしても、呪 いとしても機能するものだ。ショーペンハウアーは、 一七八八年に自由都市ダンツィヒ(現ポーランド領) で生まれ、アルトウール(y荏煢)という名を与え られた。ヨーロッパのいくつもの言語で、同じつづ りで名前として通じるようにとつけられた名前たっ た。父ハインリヒーフローリスーショーペンハウ アーは、ヨーロッパをまたにかけて活躍する貿易商 で、ダンツィヒでも指折りの資産家だった。かくし てアルトウールという名前には、将来自分のように 国際的に活躍するビジネスマンになってほしいとい う大きな期待が込められていたのである。  ショーペンハウアー家の家訓は、「自由なくして 幸福なし」(?ぽこ冫呂茫煢諂晨弓肓ヽ)。一家は共和 主義と啓蒙の理想、そして革命の夢を育んだフラン スやイギリスの文化を敬愛していた。プロイセンが ダンツィヒ併合をもくろんだときには、一家で自由 都市ハンブルクに移住したほどだ。海上貿易に携 わっていた父フローリスにとって、ヨーロッパ中か ら貿易品が集まる港町ハンブルクは商売に都合のい い場所だったのだろう。この父のもとでショーペン ハウアーは、自らの才覚で経済的に成功し、伝統的 な社会制度や権威に縛られずに自立して生きること を、確固たる理想として教え込まれたといえる。 ショーペン(ウアー少年の葛藤。2  少年期のショーペンハウアーは、優れたビジネス マンになるべく英才教育を受けた。自由を愛する父 フローリスは息子に、世界に目を向けることのでき る教養ある近代市民になってほしかったのだろう。 ショーペンハウアーは、父のビジネスパートナー (アンドレーシャルルーグレゴワール)がいたフランス のルーアーブルのブレシメール家に、当時の国際語 たったフランス語を学ぶために預けられ、すぐにマ スターして、父が尊敬していたヴォルテールの抒情 詩に熱狂するようになる。彼が生涯の趣味とするフ ルートを吹けるようになったのもこの頃のことだ。  その後、ハンブルクに帰ったショーペンハウアー は、さらなる勉学の場を求めて、ヨハンーハインリ ヒークリスティアンールング博上の私立学校に通っ た。そこで彼が学んだのは、地理や算術、簿記や各 国語といった、いわゆるビジネス向きの知識だけで はなかった。哲学や宗教、倫理、歴史も、国際的に 活躍するために必須の教養だったのだ。とりわけル ング博上は、他者の気持ちを思いやり、寛容にふる まい、嘘をつかず、事業によって人々の生活を向上 させようと尽くすことを道徳的な義務として教えて いた。後の、慈愛を説くショーペンハウアーの倫理 思想は、ここから影響を受けているといえる。ただ し、このハンブルク随一の名門校にあっても、 ショーペンハウアーの向学心は満足しなかった。す でに彼の学問への傾倒はこの時期に表れていたので ある。  ショーペンハウアーは、いつの頃からか、将来は ビジネスマンではなく、学問の道に進みたいと思う ようになっていた。ビジネスマンになるための訓練 に青春を捧げるのがいやだったのかもしれない。そ の訓練は厳しく、たとえば、商社での七年間もの住 みこみの「徒弟」修業の後、三年にわたって「見習 い」として給与さえもらえずに奉公する、といった ものだった。その時間があれば、どれほどの学問を 究められることだろう。ショーペンハウアーがそう した日々を拒絶したのは、ルングのもとで学びを深 めた古典語や文学、詩芸、哲学の魅力に心を掴まれ ていたからだと考えられる。ショーペンハウアーは、 自ら手当たり次第に本を読み、父の愛したヴオル テールのみならず、ルソーの著作にも親しんでいた。 彼らからショーペンハウアーは、自由を愛する心と、 人間社会の不平等を厳しく見つめるまなざしを受け 継いだのだと考えられる。この頃の勉学が後の彼の アイロニカルで流麗な文体の基礎となり、哲学者 ショーペンハウアーの下地を作ったのである。  父フローリスは、ショーペン(ウアーに二者択一 を迫った。ギムナジウムに入学して大学教育を受け 学問の道に進むか、それとも、家族と一緒にヨー ロッパ中を見て同り、その後、商人の下で修業を始 めるか、というのだ。旅の魅力を言い聞かされて 育ったショーペンハウアーにとって、後者の選択肢 の魅力は抗いがたいものだった。ショーペンハウ アーが一五歳の頃から一年半あまりもの長期にわ たって、一家はオランダやイギリス、フランス、ス イス、オーストリアを巡り、各地の社会状況や歴史 の遺物を見て回った。その後ショーペンハウアーは 約束どおり、ハンブルクのイェニッシユ商会で見習 いを始めたのである。 ショーペン(ウアー哲学の原体験  ショーペンハウアーはなぜ、近代市民としての生 き方を否定し、欲望からの自由を求める哲学者に なったのだろうか。それは、少年時代のヨーロッパ を巡る長期旅行のなかで、人間社会の悲惨な現実を 直視したからだと考えられる。  当時のヨーロッパは決して安定した状態ではなく、 とりわけイギリスとフランスの間では互いを牽制し あう不穏な空気が漂い続けていた。そんな中で決行 された旅行の途上で、ショーペンハウアーの心を強 くとらえたのは、道端で貧しさにあえぐ人々の姿 たった。そして、ヨーロッパの各地で見た歴史の遺 物は、闘争の歴史を人間が歩んできた証にほかなら なかった。  旅の途中でショーペンハウアー一家は、ロンドン では公開絞首刑を目撃し、地中海に面した南仏の トゥーロンを訪れた際には、カレー船牢獄を目撃し ている。この悲惨な牢獄は、ヴイクトルーユーゴー の『レーミゼラブル』の一場面としても有名だ。3。  そこでは、廃船になったカレー船が牢獄兼兵器庫 として使われていて、鎖につながれた囚人たちが、 劣悪な環境で強制労働をさせられていた。ショーペ ンハウアーはこの奴隷労働を見て戦慄しながらも、 彼らの様子を冷静に観察し、日記に事細かに書き記 している。その冷静さは、奴隷たちの顔つきを見て も、きっと人相学のいい素材になるだろうと考える ほどで、興味深いサンプルを見つめる研究者のよう な落ち着き払ったものだった。  たとえ刑期が終わったとしても、犯罪者が世間に 温かく迎え入れられることはなく、彼らは再び罪を 犯し、牢獄に逆戻りせざるをえない。ショーペンハ ウアーが見て取っだのは、罪を犯した者たちが味わ うことになる、無限の苦しみたった。ただし、 ショーペンハウアーは、裕福な資産家の子息として、 この犯罪者たちを憐れみの眼で眺めていたわけでは ない。むしろ、この少年が見て取っだのは、人間だ れしもが「生の悲惨さ」のなかに、すなわち出口の ない永遠の牢獄のなかに閉じ込められているという、 普遍の事実たった。この「生の悲惨さ」について、 後にショーペンハウアーは、一八三二年の手記。4 のなかでこう振り返っている。   一六歳のときにわたしは、教養豊かな学校教育   を受けたわけでもないのに、病と老い、苦しみ、   死を目の当たりにした青年時代の仏陀のように、   生の悲惨さに心を掴まれてしまった。この世で  声高に明瞭に語られている真理は、わたしの内  にも刻み込まれていたユダヤの教えを打ち負か  してしまい、わたしはこう結論づけた。この世  界は最善の存在の作品なんかではありえない、  むしろ悪魔の作品であって、悪魔はその苦悩を  見て悦に入るために、被造物をこの世へと呼び  出したのだ、と。このことを諸々の事実が示唆  していたし、そのとおりなのだと信じる気持ち  が優位を占めていった。 ショーペンハウアーは晩年、自分と信奉者たちを 指して「仏教徒」と呼び、知人には仏陀とプラトン とカントこそが三大哲学者だと語っている。ショー ペンハウアーにとっての仏教の核心は、「生の悲惨 さ」から脱出しようとする「解脱」の教えだった。  それほどまでに彼が目の当たりにした「生の悲惨 さ」は、深刻なものだったのである。カレー船牢獄 にいる囚人たちだけが悲惨な者だちなのではない。 そうした悲惨な境遇にいる者に、誰も手を差し伸べ ようとせず、自分は関係ないという顔をして生きて いる。そうした者たちこそ、エゴイスティックな欲 望の囚人たちであり、悲しく惨めな者だちなのだ。 しかしながら、この世界で生きているかぎり、欲望 からの自由はない。この世界はありうる最悪の世界 だ、といういわゆる「ペシミズム」の主張をこの手 記のなかに読み取ることができるだろう。  以上のことから、「生きることは苦しみである」 と断言した哲学者ショーペンハウアーの原点を、少 年期のヨーロッパ旅行に見出すことができる。そこ でショーペンハウアーは人間社会の悲惨さを目撃し、 人生は永遠の牢獄だと直観したのである。だからこ そショーペンハウアーは、欲望からの自由を求める ようになったのだと考えられる。 2 生涯と旅路  ここからは、ショーペンハウアーの生涯と諸著作 についての簡単な見取り図を描いていこうと思う。 5.ショーペンハウアーの生涯は、ごくおおざっぱ に言って、三つの時期に区分することができる。 (匸哲学に憧れた「修業時代」、(二)哲学体系を 構築した「主著執筆期」、(三)倫理思想を創出した 「フランクフルト時代」の三つである。 ショーペン(ウアーの修業時代  第一に、本書ではショーペンハウアーの「修業時 代」として、幼い頃からのビジネスマンとしての修 業期と、大学入学後から学位論文提出までの、哲学 者としての修業期をあわせた期間を指すことにした い。6。  すでに述べたとおり、この時期にショーペンハウ アーは「生の悲惨さ」に直面し、哲学者になる決意 を固めていく。ただし、これは決して現実逃避では ない。孤独な理想の世界に閉じこもってしまったわ けではない。むしろショーペンハウアーの哲学は、 カレー船牢獄の囚人たちをまっすぐ見つめていたよ うに、どこまでも経験に根差し、現実を凝視し続け るリアリスティックなものだ。7.そこには、経験 だけが頼りになるビジネスの世界を生きた父の影響 や、修業時代に学んだビジネスマンとしての教養や 自然科学が活かされていたのかもしれない。  ショーペンハウアー一家がヨーロッパ旅行から 帰ったその年、大事件が起きる。父フローリスが急 死したのだ。ショーペンハウアーはその死囚を自殺 と見なし、大きなショックを受けた。自由を愛する 近代市民として理想的な生き方をしていたはずの父 が、なぜ自殺したのかIショーペンハウアーは、 どう生きるべきかを示してくれる指針を失ってし まったのだ。  この出来事はショーペンハウアー少年の心に深い 絶望を刻んだのだと考えられる。どれほど恵まれた、 立派な生き方をしていようとも、ひとは幸福になど なれはしない。だが、同時に父との約束は、彼の心 に呪いのように重くのしかかり、「立派なビジネス マンになって幸福になれ」と彼を責め立てた。  深い葛藤を心に抱えたショーペンハウアーの様子 を見ていた母ヨハンナは、見習い仕事を辞めさせ、 ギムナジウムに通わせたり、家庭教師をつけたりし て、学問の道に進みたいと言っていた息子を支援し 励ますことにする。一家は大黒柱を失ったが、生活 に不安はなかった。このときショーペンハウアーは 父の遺産の三分の一を受け継いでいる。その後彼は いくつかの商社に投資するなどしてうまく資産を運 用していったようだが、すでに一生暮らせるほどの 金額が手元にあったのだという。  ヨハンナが息子の学問を支援したのは、父の死後 ずっと暗い顔をしているショーペンハウアーをはや く厄介払いしたかっただけなのかもしれない。独立 心旺盛な彼女は、自らのキャリアを築くためにワイ マールに移り住み、芸術家や知識人が集まるサロン を開いて、一躍有名人になった。そこにはゲーテも 顔を出していて、彼との交流はショーペンハウアー に大きな影響を与える。さらに、ショーペンハウ アーは後にそこで東洋学者フリードリヒーマイヤー とも出会う。この出会いは、生涯にわたってインド 哲学に興味を持ち続ける重要なきっかけとなった。  二一歳の頃、ついにショーペンハウアーはゲッ ティングン大学に入学し、そこで本格的に哲学者に なる道を歩み始める。一七三七年に英国王によって 創建されたこの大学は、最先端の自然科学を追求す る先進的な雰囲気を持っていた。8.当初ショーペ ンハウアーはこの大学で、古典的な哲学よりも、時 代の頂点に立つ科学を学ぼうとしていたのである。  母ヨハンナは息子に稼ぎになる学問を身につけさ せたかったので、法学を学ぶよう勧めたらしい。だ が、ショーペンハウアーは人相学や骨相学に長年興 味を持っていたため、医学部に入学した。ここには すでに、人間精神を知るには身体を知らねばならな いとする彼の哲学の立場が表れているといえる。  そして、ついにショーペンハウアーの思考の枠組 みが一挙に哲学者のそれになっだのは、ゲッティン グン大学で過ごした二年目にあたる一八一〇年から 一 一年の冬学期、哲学者ゴットロープーエルンス トーシュルツェ教授の「形而上学」と「心理学」を 受講した頃のことだ。これをきっかけに、ショーペ ンハウアーは哲学の研究を本格的に開始した。シュ ルツェは古代ギリシアのプラトンと、近代ドイツの カントの哲学を研究するようにショーペンハウアー に勧め、それをマスターするまでは他の哲学者たち には目を向けないようにと助言した。9.このアド バイスは、後のショーペンハウアー哲学の枠組みに 決定的な影響を与えたと言っていい。  プラトン哲学はショーペンハウアーを、自然の世 界と区別される超自然的なもの(すなわち「イデア」) についての思索に誘った。プラトン哲学は、日常を 超えた超越的なものへの強い憧れを掻き立てる思想 だといえる。これに対してカント哲学は、むしろ認 識の限界を人間にとって認識されうるかぎりの「現 象」に定め、その向こう側にある超越的な「物自 体」への飛躍に留保を与える思想である。  第二章でさらに詳しく紹介するが、この思想は 「現象と物自体の区別」と呼ばれる、その後の西洋 哲学にとって最も偉大な出発点となったと同時に、 乗り越えるべき最大の課題となったものだ。ショー ペンハウアーもこの課題を引き受け、自らの哲学の 構築を開始したのである。  ショーペンハウアーは研究をさらに深めるために、 早くも一八一一年のうちにベルリン大学に転校した。 そこには当代随一の哲学者として知られていた、 フィヒテがいたからだ。フィヒテはカント哲学の後 継者と目され、「現象と物自体の区別」を乗り越え るための「知識学」の立場を唱えていた。だが、期 待はすぐに失望に変わったようだ。ショーペンハウ アーはフィヒテの「知識学」(Wissenschaftslehre)を 「空っぽな学」(Wissenschaftleere)と呼んで揶揄する ようになった。10。  それでもショーペンハウアーはフィヒテの講義に 出席し続け、そこから可能なかぎり学ぼうとし、一 八匸一年の夏にはフィヒテのさまざまな著作の研究 に没頭したようだ。このベルリン時代にショーペン ハウアーは独学で多様な哲学思想に触れ、次々に吸 収していった。たとえば、プラトンと並ぶ古代ギリ シアの大哲学者アリストテレスや、一七世紀オラン ダの汎神論の思想家スピノザ、「知は力なり」で有 名な近代イギリスの哲学者フランシス・ベーコン、 イギリス経験論で知られるバークリーやロック、ド イツ観念論者で新カント派のフリース、カントを批 判したヤコービらの思想である。ゲッティングン時 代から興味を持っていたプラトンとカント、そして シェリングについても研究し続けた。  こうした研究の成果の一つとして、この時期に ショーペンハウアーは「よりよい意識」という重要 な概念を着想している。すなわち、理論的にも実践 的にもあらゆる理性を超えたところにある、超感覚 的で時間の外にある意識のことだ。ショーペンハウ アーはこのときすでに、日常的な「生の悲惨さ」の 世界を突破して、その深奥にあるものをとらえよう としていたのだといえる。  その後ショーペンハウアーは、ナポレオンの進軍 に巻き込まれるのを恐れてベルリンを脱出し、ルー ドルシュタットに落ち着いて学位論文「充足根拠律 の四方向に分岐した根について」を執筆した。H。 この論文は戦火を避けてイェナ大学に提出され、一 八一三年一〇月に「極めて優秀」との栄誉とともに 博上号を授与された(が、授与式には欠席したようだ)。 ショーペンハウアーはこの学位論文を出版してシュ ルツェやゲーテらに送ったが、彼が哲学者として世 間で広く認められるようになるのは、まだまだ先の ことだ。 主著執筆期  学位論文の提出後、ショーペンハウアーは再びワ イマールに戻り、母のサロンに出入りしていたゲー テや東洋学者マイヤーとつきあうようになる。一八 一三年から翌年頃のことだ。  ショーペンハウアーはゲーテをカントと並んで尊 敬すべき学者だと考えていた。そんなゲーテから光 学実験装置を借り受け、共同で色彩論についての研 究に取り組み、『視覚と色彩について』。12を執筆 したことは、彼にとって大きな出来事だったといえ る。  ただし、ショーペンハウアーとゲーテとの間には、 根本的な見解の相違があった。ゲーテは、色を主観 の側の働きに還元せずに実体そのものとみなす「実 体論的な立場」に立っていたのに対して、カント哲 学の後継者を自任していたショーペンハウアーは、 主観の働きを強調する「観念論的な立場」に立って いたのだ。このことはショーペンハウアーに、自分 の哲学がゲーテ的なものであるよりも、カント的な ものだということを自覚させ、さらなる研究の必要\ 性を実感させたのだと考えられる。それでもショー ペンハウアーにとってゲーテとの友情は、「私の人 生の中で最も喜ばしく幸運な出来事」だったのだと いう。13。  また、ショーペンハウアーが「天才」について考 えるときいつも念頭にあったのはゲーテのことだ。 ゲーテもまた、ショーペンハウアーの稀有な知性を 認め、この気難しい哲学者とのつきあいを続けたが、 徐々に二人の道は分かたれていった。  マイヤーとの出会いは、ショーペンハウアーに古 代インド哲学の魅力を教え、その後の思想に決定的 な影響を与えることになる。ショーペンハウアーは ワイマールの公立図書館で東洋宗教について調べる べく、『アジア誌』(Asiatisches Magazin)や『ウプネ カット』*14ヽポリエ夫人の『ヒンズー神話』。15 などを借りている。『ウプネカット』では訳者の デュペロンが古代インド哲学をカント哲学と結びつ けて解説していたし、ポリエ夫人も同様の考えを 持っていたようだ。16。この後ショーペンハウアー は東洋宗教についての研究成果を継続的に追いかけ つつ、それを自身の哲学体系の構築のための最も重 要なアイディアの一つとして取り入れていくことに なる。  ショーペンハウアーは社交の場ワイマールを離れ、 ひとりドレスデンに移り住む(一八一四年)。この 引っ越しの際に母とケンカしてしまい、その後二度 と会うことはなかった。このエピソードからも、 ショーペンハウアーの気難しく、人づきあいが苦手 で、激昂しやすい性格をうかがい知ることができる だろう。彼は、社交のためにおもねって生きること を嫌い、他人とかかわって心を乱されるよりも、む しろ孤独に生きることを好んだ。この地でショーペ ンハウアーは、自らの哲学体系の完成に取り組むこ とになる。  ドレスデンでショーペンハウアーは、プラトンと カント、古代インド哲学とを結び付けていくことに なる。当地で彼は再び『ウプネカット』を借り出し、 また『アジア研究』(Asiatick Researches)というシ リーズから「輪廻転生」や「涅槃」、「カルマ」など の概念、そして仏陀の悟りの教えなどを学び取って いった。  ショーペンハウアーにとってプラトンとカント、 古代インド哲学はいずれも、迷妄と苦しみに満ちた 日常世界からの解脱を唱えるものだった。日常を超 えた「よりよい意識」によって、わたしたちを覆っ ている欲望から自分を解放すること。それは、わた したちを幻惑する「マーヤー」(瓧戔)の力から脱 け出すことにほかならない。  こうした解脱の思想の成立には、上記の三要素や ドイツ観念論の批判的受容のみならず、ギュイヨン の自伝や、ヨハネスータウラー、ヤコブ・ベーメら の神秘主義的な著作の影響も見出すことができるだ ろう。  約四年の歳月をかけて、一八一九年初め、ショー ペンハウアーの主著『意志と表象としての世界』が 刊行に至る。それは彼の哲学体系がとにかく一度完 成に至ったことを意味している。 フランクフルト時代  主著を完成させたショーペンハウアーは、イタリ ア旅行にでかけ、ローマの冬を満喫したり、またド レスデンに戻ってからは、コーラスガールで踊り子 のカロリーネーリヒターと浮き名を流したりもして いる。ベルリン大学講師の地位を得たが、当代随一 の(しかし彼が嫌悪していた)哲学者ヘーゲルとわざ と同じ時間に講義を設定したために、ほとんど聴講 者を集められなかったというエピソードが残ってい る。  なお、自身の哲学体系を完成させたからなのか、 一八二〇年代はこの若き哲学者にとって生涯最も生 産的ではない時期となった。ヒュームの宗教論のド イツ語訳やカントの『純粋理性批判』の英訳なども 計画したが、いずれも刊行には至らなかった。  一八三一年、コレラを恐れて、ショーペンハウ アーはベルリンを去り、フランクフルトに移り住む。 ベルリンではヘーゲルがコレラに罹患して急逝した ことからも、その感染の大流行ぶりがうかがえる。 ショーペンハウアーは一度マンハイムにも移ったが。 一八三三年、やはりフランクフルトに定住すること を決め、そこで残りの人生を過ごすことにしたよう だ。少年期を過ごしたハンブルクと同様、自由都市 であったフランクフルトは、自由を愛し権力を嫌う ショーペンハウアーにとって過ごしやすい場所だっ たのだろう。この地はヨーロッパの政治と経済の中 心地の一つだった。そうして常に先進的な雰囲気と 情報に触れながら、ショーペンハウアーは次々に著 作を刊行していく。  一八三六年には『自然における意志について』を 刊行した。この著作は、自然科学の成果をエビデン スとして、彼の意志の哲学の裏づけを行うことを目 的とするものだ。  また、ショーペンハウアーはノルウェー王立学上 院の主催した懸賞論文として「意志の自由につい て」(一八三八年)を書き、金賞を受賞した。次いで デンマーク王立学上院が主催した懸賞論文として 「道徳の基礎について」(一八三九年)を執筆したが、 応募論文が一本だけだったにもかかわらず、多くの 哲学者たちを悪しざまに切って捨てるような語り囗 のためか、受賞を逃している。ショーペンハウアー はこれらをまとめて一八四一年に『倫理学の二つの 根本問題』というタイトルで出版している。  一八四四年、ショーペンハウアーは主著『意志と 表象としての世界』の「第二版」と「続編」第一版 を刊行した。それらは後に、ショーペンハウアーが 逝去する前年にあたる一八五九年に第三版としてま とめられることになる。  ショーペンハウアーが最後に書いた著作。17は、 一八五一年に刊行された『余録と補遺』だ。この著 作に収められた論稿は、射程の広い哲学的な作品か ら、人生論まで多岐にわたるが、とりわけ後者はこ れまでしばしばテーマごとに文庫として刊行されて きた、人気のある作品群だ。日本でも『幸福につい て』、『読書について』、『自殺について』がよく読ま れている。  この晩年の著作は、ショーペンハウアー哲学の全 体像を描くためには、欠かすことのできないものだ といえる。その真骨頂は主著で披瀝された「意志の 否定」にあるのだが、誰でもその境地に至ることが できるわけではない。「意志の否定」の重要性に気 がついていながらも、その境地に至ることのできな い者には、続きの人生はあまりにもつらいものに なってしまう。だからこそショーペンハウアー哲学 には「補遺」が必要なのだ。その処世術は、わたし たちの人生に自由な瞬間があることを教え、欲望の 歯車になる以外の生き方があることを、小気味よい アイロニーを交えながらユーモアあふれる語り囗で 教えてくれるものとなっている。イギリスの新聞で 紹介されたのをきっかけに、次第にショーペンハウ アーの名は本国でも広く知られるようになる。 ショーペンハウアーはヨーロッパで最も多くの読者 を獲得した哲学者の一人となったのだ。その後、彼 がこの世を去っだのは一八六〇年のことだった。没 後百六〇年を過ぎてなお、ショーペンハウアーは世 界中で読者を獲得し続けている。 第二章 悲惨な生と「意志の否定」 -主著『意志と表象としての世界』にお ける求道の哲学 1 世界はわたしの表象である  第▽草では、ショーペンハウアー哲学の誕生とそ の後の歩みを見てきた。本章では主著『意志と表象 としての世界』の核心を読み解くことで、ショーペ ンハウアー哲学の第一の骨組みである〈求道の哲 学〉の中身を具体的に見ていきたい。なお、本書で は求道という言葉を仏教用語としてよりも、徹底的 に「生の悲惨さ」に向き合うことで貞理に至ろうと する認識の歩みという意味で用いることにする。 求道の哲学  主著『意志と表象としての世界』で展開された ショーペンハウアー哲学の根本教説は、「意志の否 定」である。その核心が「肯定」ではなく「否定」 であるのは、雑多な「にせもの」の世界を突き抜け て見出すべき「本当のこと」があると強く確信して いたからだろう。「本当のこと」を見出そうとする 彼が歩んだのは、熾烈な自己批判と孤独な反省を通 じた、峻厳なる求道の旅路だった。そうしてショー ペンハウアーは、「にせもの」ばかりのこの世界を 超え出て、哲学的な真理に到達しようとしたのであ る。  ショーペンハウアーの主著を読むということは、 こうした求道のあり方を学ぶということにほかなら ない。読者は、ショーペンハウアーの足跡を一歩一 歩追いかけるために、彼が用いた難解な概念や哲学 的な問題意識を自らのものとしていく必要がある。 哲学的に考えるというのは、何か「本当のこと」な のかを客観的に問い、これまで当たり前のように正 しいと思い込んできた考え方から解放されることだ。 多くのひとが当たり前のように正しいと思い込んで いるけれども、確たる根拠のない主張のことを、本 書では「臆見」と呼ぶことにする。  自分が当たり前だと思っていたことが、実は「臆 見」にすぎないと気がついて驚くことIそうして 哲学的な議論が開始される。驚いた後が重要だ。哲 学者は、自分がどのような「臆見」を持っていたの かをあらためて言語化し、いったい何かわかってい ないのかを明確な問いのかたちにし、より真なる主 張に向かおうとする。「臆見」から自由になること。 それが哲学なのである。 世界の凝視  真の哲学は、世界をじっと見すえたときの驚きか ら始まる。ショーペンハウアーによれば、あるひと を哲学者にするのは、読書や学習ではない。現実の 世界をじっと見すえ、「なんだ、これは!・ いった いどうなっているんだ!・」と驚き、その混乱をどう にか切り抜けようとするときに、ひとは哲学者にな るのだという(主著正編第一巻第七節、邦訳七五 頁)。18。  では、ショーペンハウアーは哲学者として、いっ たいどういうことに知的な驚きを感じたのだろうか。 それは、わたしたちが見ている世界は「にせもの」、 「迷妄」なのかもしれない、ということだと考えら れる。  ショーペンハウアーに哲学者としての道を歩ませ るようになったきっかけの一つは、第一章で述べた とおり、ゲッティングン大学で学んだカント哲学と の出会いにある。とりわけ、カントによる「現象と 物自体との区別」という考え方がショーペンハウ アーに大きな衝撃を与え、この問題を正面から受け 止め、乗り越えることが彼の哲学にとって最大の課 題の一つとなった。  ここでいう「現象」R9回目兵)とは、わたした ちが知覚し経験していることがらのことだ。その向 こう側にあるかもしれない、経験のフィルターを通 していないことがらそのもののことを「物自体」と いう。カントによれば、わたしたちの経験的な知識 には限界があり、「物自体」については知ることが できない。それゆえ、伝統的な形而上学者たちが議 論してきたような、神や不滅の霊魂、あるいは宇宙 全体の秩序についての探究は失敗せざるをえない。 それらは経験不可能なものだからだ。  ショーペンハウアーによれば、カントは「現象と 物自体の区別」をしたうえで、「現象」を構成する 基礎的で不可欠な条件が主観の側にあると主張した のだという。こうした「区別」がショーペンハウ アー哲学のバックボーンになっている。  主著『意志と表象としての世界』は全四巻で構成 されているのだが、その第一巻の冒頭に、こう書か れている。    「世界はわたしの表象である」-これは、生   きて、認識を営むあらゆる存在に関して当ては まるひとつの真理である。ところがこの真理を、 反省的に、抽象的に真理として意識することが できるのはもっぱら人間だけである。人間がこ れを本当に意識するとして、そのときに人間に は、哲学的思慮が芽生え始めているのである。 その際に人間にとって明らかになり、確実に なってくるのは、人間は太陽も知らないし大地 も知らないのだということ、人間が知っている のはいつもただ太陽を見る眼だけ、大地を感じ る手だけなのだということ、人間を取り巻いて いる世界はただ表象として存在するにすぎない   こと、すなわち世界は、世界とは別のものとの   関係においてのみ、人間自身がそれである表象   するものとの関係においてのみ存在するのだと   いうことである(古者正編第一巻第一節、邦訳五   頁)。  ショーペンハウアーによれば、わたしたちは世界 そのものがどういうものかを知らず、わたしたちに とつての「表象」(が「髟巨召」の世界の内にいるに すぎない。ここでショーペンハウアーはカントの言 う「現象」を「表象」と言い換えている。いずれも 人間の主観にとって現れるものという意味で、大き な差異はない。ただし、「表象」には想像上のイ メージや空想物など、実際に目の当たりにしないも のも含まれるので、「現象」よりも広い概念だと言 うことができる。  そもそもこの「世界はわたしの表象である」とい うのは、いったいどういうことを考えようとしてい るのだろうか。少し立ち止まって考えてみよう。わ たしたちは普段、まず世界が無条件に物質的なモノ として実在していて、その内に自分も同様にモノと して実在していると思っている。ここでいう無条件 に、というのは、人間の主観によらない仕方で、と いうことだ。たとえ人間がいなくなったとしても、 世界は今見えているとおりに実在する。これは当た り前のことのように思える。  だが、本当にそうだろうか。個々のモノにそのモ ノらしさを与えているのは、むしろわたしたちの主 観なのではないか。もしもわたしたちの主観がな かったら、少なくとも今わたしたちに見えているよ うな世界は無くなってしまうのではないか。  世界そのものの実在について、わたしたちは断定 的に論じることはできない。そう考えるのがいわゆ る「観念論者」で、カントに始まり、フィヒテや シェリングを経てヘーゲルによって完成されたとい われる立場だが、ショーペンハウアーもこの系譜に 身を置いている。わたしたちが物質的な対象として 経験するモノの状態や存在は、それを認識している 主観の側のあり方に依存している、という立場だ。 そして、ショーペンハウアーが「現象」ではなく 「表象」というのは、世界は「わたし」すなわち主 観の「前にある」(百采邑回)ものである、まさに 「わたしの表象」だということを強調したからだろ  なお、人間の主観のあり方は、個々人でばらばら なのではなく、そこには共通の一定の形式がそな わっていると考えられる。すなわち、だれもが知覚 と概念を働かせることによって、個々のモノをその モノとして認識している。五感に飛び込んでくるそ のときどきに異なる個別の知覚データに対して、そ れが何であるかを判断し、認識を成り立たせている、 ということだ。したがって、主観というのは、デー タを受信して一定の解像度で映像を映し出すモニ ターのようなものだと考えればよい。  以上のことをふまえて考えるならば、わたしたち が認識しているモノは、あくまでわたしたちによっ て認識されたかぎりでのモノでしかなく、無条件な それ自体ではないということになる。わたしたちが 見ているのは、主観に対しての客観、「わたしの」 モニターに映し出されたモノでしかない。これを ショーペンハウアーは「表象」と呼ぶ。 表象とは何か  冒頭で取り上げた、「世界はわたしの表象である」 というテーゼについて改めて検討してみよう。  わたしたちは普段、「世界というモノが無条件に 実在していて、その内に自分もモノとして実在して いる」と想定しがちだが、ショーペンハウアーの主 張からすると、これは一つの臆見にすぎないという ことになる。むしろ「世界」というのは、人間の認 識主観によって見られたかぎりでの世界であり、 「表象」以外の何物でもない。  そもそもわたしたちは「世界」がそのもの自体と してどういうものなのかを知らない。人間が知って いるのは、あくまで「主観と関係するかぎりでの世 界」だけだ。認識主観としての「わたし」にとって の世界、といっていいだろう。これに対して、「無 条件に実在する世界」全体の認識は、神の視点にで も立だなければ実現しない。したがって、人間が見 ている世界は、どこまでいっても一定の制約から逃 れられない、不完全なものにすぎないわけだ。この 意味で、わたしたちが「世界」と呼んでいるモノは、 「表象」にすぎないのである。  たしかに、目の前にある机やパソコンは、頭の中 の単なるイメージではなく、はっきりと実在してい るように思える。だが、ショーペンハウアーによれ ば、それらは「表象」以外の何物でもない。なぜな ら、個々のモノは無条件な実在ではなく、どこまで いっても主観にとっての客観であり、主観による条 件づけから決して逃れられないものだからだ。それ ゆえ、「世界に属するすべてのものはただ主観に対 して存在するにすぎない。世界は表象である」とい うことになる(古者正編第一巻第一節、邦訳七頁)。 時間・空間・因果性  ショーペンハウアーの主張の要点をまとめておく なら、「表象としての世界」には二面性がある、と いうことになる。その内にある個々のモノは、主観 が見ているということと、客観として見られている ということ、という不可分な二面性によって構成さ れている。主観なしに客観は成り立だないし、その 逆もまたしかりだからだ。それが「表象」の基本的 な性格である。  そして、こうした「表象としての世界」の二つの 契機を指摘することによって、ショーペンハウアー はもう一つ重要なことを明らかにしている。それは、 主観は客観にならない、ということだ。言い換える なら、主観はあくまで「表象としての世界」を成り 立たせているものであって、客観としての性質を決 してもたないものこそが、主観なのである。  ショーペンハウアーによれば、主観が個々のモノ に与えている客観としての性質には、普遍的な形式 がある。これを「根拠律」(Satz vom Grunde)という。  「根拠律」とは何だろうか。まず、主観にとって現 れる個々のモノは、必ずほかのモノとの間に必然的 な関係を結んでいて、そこから逃れることはできな い。その関係づけをまさに主観が与えていて、そう することによってあらゆる客観は必ず時間・空間・ 囚果性という三つの形式をもつことになるとショー ペンハウアーは主張している。  時間・空間・囚果性は、世界そのものの側には存 在しない。考えてみれば、「何時何分」といったり。 「二一世紀」といったり、あるいは「ここから五キ ロメートル先」といったりするのは、人間が時間と 空間に関して区切りや位置づけを便宜的に取り決め ているだけで、世界の側にそれらについての絶対的 な指標が存在するわけではない。もっといえば、そ もそもわたしたちが知っているかぎりでの時間や空 間は、人間の認識主観を離れてなお実在するかどう か、決してわからないものなのだ。同様に囚果性も また、特定の結果から特定の原囚らしきものを人間 が自分の観測可能な範囲内で結びつけて推論してい るだけだ。時間・空間・囚果性は、私たちが世界を 経験できるようにするために、主観が客観を認識す るときに用いざるをえない条件のようなものだとい える。  時間も空間も囚果性も、ある点を指摘するために はほかの点が必要になるような、相対的な指標であ る。もっといえば、「表象としての世界」に存在す る個々のモノは、必ずほかの何かと時間・空間・囚 果性において関係していて、その関係こそが個々の モノをそのモノとして存在させている根拠や理由に なっている、ということだ。つまり根拠律とは、 「なぜ存在するのかという根拠なしには、何ものも 存在しない」、という単純な規則なのである(学位 論文第一章序論第五節)。この規則は、「表象としての 世界」に存在するあらゆる個々のモノに当てはまる。 だから、「表象としての世界」で起こるあらゆる出 来事には、それが起こるべき理由が必ずあり、わた したちはあきらめることなく「なぜ」を探究し続け ることができるIそういうものとしてわたしたち は世界を見ているわけだ。 2 意志と表象としての世界 わたしとは何か  ショーペンハウアーの主著『意志と表象としての 世界』(正編)は、全四巻とカント哲学についての 付録からなる。四つの巻にはそれぞれ異なるテーマ を見出すことができる。第一巻が認識主観について、 第二巻が自然について、第三巻が芸術について、第 四巻が倫理と宗教について扱っている。ただし、 ショーペンハウアーによればこれらは「一個の思 想」として結びついているものである。  ショーペンハウアーの主著第一巻の全体は「表象 としての世界」について詳しく論じることを主題と している、といっていいだろう。だが、第二巻では、 世界には二つの側面があって、主観にとっての「表 象としての世界」はそのうちの一つだという。もう 一つの側面が「意志としての世界」だ。この「意 志」を発見したところに、他の観念論者とは一線を 画すショーペンハウアー哲学の独自性がある。  ただし、これら「表象としての世界」と「意志と しての世界」は別の二世界なのではなく、あくまで 一つの世界に二つの側面があるのだという。それゆ え、この著作のタイトルが示すとおり、ショーペン ハウアーが描き出しだのは、「意志と表象としての 世界」である。  先述のとおり、わたしたちが目の当たりにしてい る世界は、「表象としての世界」だ。すなわち、ど こまでいっても、見ている主観と見られている客観 との分裂を抱えている、「にせもの」にすぎない世 界である。  だが、ここでいう見ている主観、すなわち「わた し」だけは、客観としての性質を持っていない。こ れは、主観はいつも「見ているもの」であって。 「見られるもの」にはなりえない、ということだ。 それゆえ認識主観は、「見られるもの」にほかなら ない「表象」として存在しているわけではない。で は、「表象としての世界」に根を持っていない「わ たし」とは、そして「わたし」を突き動かしている 「意志」とは、いったい何なのだろうか。この問い が、「表象としての世界」に風穴を見出し、その外 側に目を向けるためのキー・クエスチョンになる。 わたしは身体であり意志である  「わたし」とは何だろうか。主著正編第二巻第一八 節によれば、「わたし」は二重のあり方をしている。 まず、「わたし」は、自分自身を一個の身体だと考 える。これは、主観によって客観として見られた身 体だ。いままさに目の前に見えている自分の手や腕 は、まさに見られた身体であり、科学が対象として 扱うことができるモノであり、机やパソコンなどの ほかの表象と同様の、一表象にすぎない。それは時 間・空間・囚果性の規則のもとにあって、決してそ れを逃れることはできない。  さらに、「わたし」は、自分自身のことを単なる 表象としてだけでなく、もっと直接に知ってもいる。 「わたし」は個体としての「わたし」自身を、自ら の身体の活動の内に見出してもいるのだ。こうした 直接的で、内的な自分自身のあり方を、ショーペン ハウアーは「意志」(ぎ渟ヴィレ)と呼ぶ(主著正編 第二巻第一八節、邦訳ニー九頁以下)。  なお、ここで気をつけなければならないのは、 「意志」と身体との問には囚果性はないということ だ。わたしたちは、「意志」が原因となって身体を 動かす、と考えてしまいがちだが、ショーペンハウ アーはこのことを明確に否定している。そもそも原 因と結果は、ある表象と別の表象との間に主観が見 出す関係にすぎない。だが、ショーペンハウアーに よれば、「意志」はそれ自体では表象にならない。  ただし、意志はいつでも活動する身体とともにあ り、活動する身体とセットで考えるべきものだ。活 動する身体は、単に客観として見られた身体とち かって、意志の働きと連動して動くものである。以 上のことから、「わたし」とは「意志」であり、そ れと連動して活動する身体なのである。  このことを指してショーペンハウアーは、「身体 全体が客観化された意志、すなわち表象になった意 志にほかならない」といっている(古者正編第二巻 第一八節、邦訳二二二頁)。すなわち、活動する身体 とは、「意志」の表象だということだ。意志として の「わたし」は「表象としての世界」に居場所をも たない根無し草なのではなく、活動する身体として 自らを表象化し、その世界の内に住んでいるのであ る。それ自体では表象にならない「わたし」とは何 か、「意志」とは何かを教えてくれるのが、活動す る身体という表象なのである。 生きようとする意志  「わたし」には知性があり、情動があり、意志があ る。西洋思想の伝統において、人間主観にはこのよ うな三つの能力が期待されてきた。そればかりでは なく、多くの思想家たちが知性に優位を与え、それ が意志を導くと考えられてきた。この場合、意志に は道徳的な善悪の分別がつき、それをふまえてより よい社会を構想していくための選択の自由があり、 行為の責任を引き受けるような、知性の光によって 導かれた「自由意志」であることが期待される。  だが、ショーペンハウアーによれば、「わたし」 とはいったい何なのかを探究するためには、活動す る身体を手引きにしなければならない。それしか 「わたし」と一体であるような表象はないからだ。 そうして身体をじっと見すえてみると、そこに現れ ている意志が知性に導かれた「自由意志」などでは なく、「生きようとする意志」であるということ、 そして知性もまたそれにしたがうものであることが 明らかになる。そうしてショーペンハウアーは意識 の向こう側にあって、「わたし」を支配している 「生きようとする意志」を洞察するに至った。哲学 史上ゆるぎない、ニーチェやフロイトら後の思想家 たちに大きな影響を与えたショーペンハウアー哲学 最大の成果である。  ショーペンハウアーにとって人間存在の最も重要 な要素は、知性ではなく「意志」である。知性は二 次的なものにすぎない。わたしたちは自分たちの内 に意識的な知覚と思考を、すなわち知性的なものを 見出すことができるが、それらを下から支え動かし ているのが「意志」なのだとショーペンハウアーは いう。つまり、知性は「意志」の影響によってバイ アスをもたざるをえない。身体をじっと見すえてみ れば、それを動かしているのが、意識にはっきりと 表れてくる食欲や睡眠欲、性欲のような欲望のみな らず、ほとんど意図的に管理することのできない無 意識的な欲求によって駆動されたプロセスであると いうことが明白だ。そして、その欲求こそが、わた したちの思考や意思決定などの知的な活動をあらか じめ支配しているのだ。  さらに、ショーペンハウアーによれば、身体表象 として客体化した諸欲求の本質がどのようなもので あるかを考えることによって、「わたし」がしたい と思うすべての行動の根にあるものが、実は、目的 地をもたない「生きようとする意志」であることが 明らかになるのだという。  たとえば、食欲について考えてみてほしい。食欲 にゴールはない。もちろん、食欲に駆られて美味し いものを食べると、快楽を感じて、一時的に満たさ れることはあるだろう。だが、その満足感はすぐに 失われ、倦怠と退屈に変わってしまい、数時間もす ればまた飢えが始まる。このサイクルから脱出する すべはなく、生きていくためには必ずその奴隷でい 続けなければならない。  欲求に目的は存在せず、わたしたちは生涯ずっと、 生きよう生きようと駆り立てられ続け、決して安住 の地にたどり着くことはありえない。以上のことか ら、ショーペンハウアーは意志を「目的をもたない 意志」または「生きようとする意志」と規定する。 わたしたちが目の当たりにしている世界は、実はこ のような意志に見せられている「表象としての世 界」にすぎないのだから、その全体が実体のない 「迷妄」であり、この意味で「にせもの」だという ことになる。ショーペンハウアーはこうした「迷 妄」のことをよく古代インド哲学を参照してサンス クリット語に言い換えて、「マーヤー」と表現する。 すなわち人間を惑わす幻影である。  なお、ショーペンハウアーはたびたび「目的をも たない意志」のことを「盲目的」と形容することが あるが、「盲目」であることを直ちに「無目的」と 結びつけてしまう言い方は、視覚に障害のある者を 貶める差別的な表現だと言わざるをえない。本書刊 行以降、適切な配慮がなされることを願うばかりで ある。 意志としての世界  ここまでに見てきたとおり、「表象としての世界」 の内で、唯一特権的な表象となっているのが「わた し」の身体だった。「わたし」の活動する身体だけ が、「意志」でありながら表象でもある。だからと いって、「わたしの意志だけが実在する」とか、「世 界はわたしの意志にしたがうものである」と考えて しまうのは早合点というものだろう。  むしろショーペンハウアーは、身体の二重性を 「自然界の各現象の本質を解く鍵」として用いるこ とにする(古者正編第二巻第一九節、邦訳二三二頁)。 すなわち、ほかの表象もまた、身体との「類比」 (アナロジー)によって、表象でありながら「意志」 でもあると考えるべきだという。  もちろん身体以外の表象は、単なる表象としてし か与えられていない。わたしたちは身体活動にのみ、 「意志」との連動を実感できる。しかし、他のあら ゆる表象もまた、「意志」と連動しているのではな いか。他人や動物などの、自分と似ている表象の内 的本質として「意志」を想定できるだけでなく、植 物を生長させる力や、結晶を形成する力、物質に働 く磁力や引力も、すべて本質的には同一の力なので はないか、あらゆる存在のルーツであるような根源 的な力、それを「意志」と呼ぶことができるのでは ないかIショーペンハウアーはこのように考え、 身体に見出した「意志」をあらゆる表象の内側に見 出し、すべてが一つの「意志」であるような、「意 志としての世界」を導出してみせる(主著正編第二 巻第二一節および第二二節、邦訳二四一頁以下)。 意志と表象はいかなる関係にあるのか  ただし、先にも述べたとおり、「表象としての世 界」と「意志としての世界」は異なる二世界なので はなく、一つの同じ世界の二つの側面である。では、 意志は一つであるのに、表象が多様であるのはなぜ なのか。重力のような単純な力から、無機物の結晶 力、植物の生長作用、動物の闘争、人間の複雑な精 神活動に至るまで、「表象としての世界」には数多 性がある。  この問題については、まず、認識主観にとって多 様な表象が現れるのは、「意志の客観化」にさまざ まな段階があるからだと考えてみるのがよいだろう 玉著正編第二巻第二七節、邦訳三三三頁以下)。「意志 の客観化」とは、根本的に「見るもの」である意志 が同時に「見られたもの」となること、自らを鏡に 映すようにして、「意志としての世界」と連動する 「表象としての世界」が成立するということだ。「意 志」が微弱な段階にあれば無機物や植物にとっての 世界のような低次の単純な「表象としての世界」が 成立し、「意志」がより強烈な段階にあるとき、動 物や人間にとっての世界のような高次で複雑な「表 象としての世界」が成立する。このとき、高次のも のは、低次のものを含みこんで成立している。 ショーペンハウアーによれば、豊かで多様な「表象 としての世界」は、それだけ明瞭な「意志の鏡」と なっているのだ。  「意志」は一つであるのに、人間にとって「表象と しての世界」が豊かで多様なものとして成立してい るのは、人間を突き動かしている強烈な「意志」が、 数多の個々のモノの内の一つであるような、「見ら れたもの」としての自己自身とそれ以外のすべての ものを認識しているからである。このような「表象 としての世界」の成立の原理をショーペンハウアー は「個体化の原理」と呼ぶ。  ただし、意志がなぜ「表象としての世界」をその ような世界としてI「意志」自身を覆い隠し惑わ せる「マーヤーのヴェール」としてI現象させて いるのかを、意志自身も知らない。意志には目標も 根拠もなく、なぜ存在していたいのかもわからずに 存在しようとし続けている、目的をもたない意志だ からである(主著正編第二巻第二九節、邦訳三六六頁)。 3 どうすれば欲望から自由になれるのか 意志の否定  それでは、わたしたちは「目的をもたない意志」 に突き動かされるしかないのだろうか。わたしたち は、意志の奴隷でしかないのだろうか。わたしたち を支配している「意志」からの自由は、いかに実現 されるのか。  日常的には、わたしたちは国家の政策や、個人の 政治行動によって、歴史の歩みの内で徐々に自由が 実現すると考えている。だが、そこで実現されるも のが、さらに「生きようとする意志」に奉仕するた めの、際限のない欲望のためのシステムの増築では ないといいきれるだろうか。はたして自由というも のは、政治や歴史によってさらに新しいものを増や そうとする営みによって実現されるのではなく、む しろそうしたシステムを超え出ようとすること、す なわち「生きようとする意志」からの解脱という境 地においてはじめて実現されるものなのではないか。  それが「意志の否定」というショーペンハウアー 哲学の根本教説なのである。主著『意志と表象とし ての世界』の第一巻と第二巻は、「世界はわたしの 表象である」というテーゼから出発し、その「表象 としての世界」のほとんどすべてを支配しているの が「生きようとする意志」であるということを明ら かにしている。だとすると、わたしたちの人生は、 「にせもの」ばかりを追いかける、「目的をもたない 意志」に奉仕するだけの、あまりに希望のないもの になってしまう。これに対してショーペンハウアー は、主著第三巻と第四巻で、他のどの思想家も語る ことのなかった、「意志の否定」という独特な自由 のあり方を提示している。これは古代インド仏教の 解脱の境地と同一視され、「涅槃」とも呼ばれる。 ショーペンハウアーは主著第三巻で芸術について、 第四巻で「共苦」および宗教による「意志の否定」 について論じている。ただし、芸術や「共苦」が実 現する「意志の否定」はいまだ不完全なものだとい う。真に完全なる「意志の否定」が認識として完成 するのは宗教的な求道の道のりを通じてであり、そ こに主著のクライマックスがある。 芸術とは何か  ショーペンハウアーによれば、「表象としての世 界」で個体として身体をもって生きている「わた し」は四六時中、「生きようとする意志」に操られ ている。「わたし」はおのずと腹が減り、眠くなり、 性欲が湧き、自己中心的に世界を合理化しようとす る。「わたし」はそうやってはじめて生存している。 それゆえ、「表象としての世界」を成り立たせてい るイデア(=世界の設計図のようなもの)を「意志」 に逆らって認識することも、「意志」そのものを否 定することも、ほとんど不可能だといえる(古者正 編第三巻第三三節)。  だが、ショーペンハウアーによれば、イデアの認 識が可能になる契機があるのだという。それが芸術 だ。たとえば、ベートーベンの交響曲に夢中になっ ているとき、わたしたちは意志への奉仕から解き放 たれ、「意志のない純粋認識主観」になるのだと ショーペンハウアーはいう。すなわち、「意志」を 鎮静化してくれるのは芸術であり、天才の業である。 「芸術のただひとつの起源は、イデアの認識である。 そして芸術のただひとつの目標は、その認識の伝達 ということにほかならない」(主著正編第三巻第三六 節、邦訳四〇頁)。  すなわち、ショーペンハウアーにとって芸術とは、 天才が純粋な観照を通じて、「表象としての世界」 の設計図であるイデアを把握し、それを作品のうち に再現することである。ここでいう純粋な観照とは、 認識主観が意志の支配から逃れて、「世界の本質を 映す明澄な鏡」となることだ。そうして芸術は世界 の本当の姿を明らかにする。  優れた芸術作品とは、天才が自ら観照したイデア を他人に伝達するものなのだ。その作品を通じて、 鑑賞者は直接イデアを認識するよりも、はるかに容 易にそれを認識できるようになる。天才的な芸術家 の認識というものは、雑多な現象とイデアとを区別 し、作品のなかにイデアのみを認識しやすくなるよ うに表現しているからだという。  なお、ここでいう天才とは、純粋な観照をおこな う能力を圧倒的にもっている者のことだ。すなわち、 認識に意志への奉仕をさせずに、自分の利害関心を 放棄して、純粋な認識主観となる能力をもつ者であ る。ただしこの能力は平凡な者にもわずかながら備 わっている。だから平凡な者も、芸術作品や自然な どの美しいものに心を動かされるのだ。 芸術とイデアの諸段階  ショーペンハウアーによれば、芸術にはさまざま な段階がある。建築術や水道術、風景画、動物造形、 歴史画、宗教画、文芸、悲劇などだ。その諸段階の 芸術のさまざまなジャンルは、この世界に存在する さまざまな事物の本質を描き出すものになっていて、 とりわけ意志の客体化の諸段階であるイデアの諸段 階に対応するものになっているとショーペンハウ アーは考えている。  最高にして唯一無二の本物の芸術は、ショーペン ハウアーによれば、音楽である(古者正編第三巻第五 二節)。音楽は「意志それ自身の模写」なのだとい う。ショーペンハウアーが愛した音楽は、たとえば モーツァルトや、ロッシーニ(オペラ)、ベートー ベン(交響曲)たった。ショーペンハウアーによれ ば音楽は、世界の内奥の本質を、世界それ自体を音 によって表現できるのだという。低音から高音まで を用いることで、意志の客体化の諸段階である多様 なイデアを示すことができる。たとえば低音は無機 物の世界を、高音が植物界から動物界までを、そし てメロディーが人間の生を、意志に操られた無尽蔵 の意欲とだえざる苦悩を表現しているのだという。  そうして芸術が意志そのもののあり方を描き出す とき、それを鑑賞している者たちの意志が鎮静化す ることがあり、そのときわたしたちは純粋な認識主 観になって、ただただ世界の真の姿を映す鏡となる。 ここに至るとわたしたちは、意志やそれにもとづく 欲望から自由になることができる。それは瞬間的で 不完全なものにすぎないが、わたしたちの目的のな い人生のなかに意志から自由になる瞬間があるとい う事実は、ほとんど四六時中意志に奉仕させられ続 けているわたしたちにとって希望となり、慰めにな ることだろう。 共苦による意志の否定  「意志の否定」が生じる瞬間というのは、芸術鑑賞 や宗教的禁欲のような非日常的な瞬間だけではない。 わたしたちの日常のなかにも、「生きようとする意 志」を否定する瞬間がある。それが他者の苦しみに 対する「共苦」の瞬間だ。  たとえば、海や川で溺れかけているひとを見かけ て、なんとか助けようとつい飛び込んでしまう、そ ういうひとが少なからずいる。毎年のように、夏に なるとそういうニュースを耳にすることだろう。他 者を苦しみから救い出そうと、つい身体が動いてし まう。ショーペンハウアーによれば、こうした他者 と「共に苦しむ」感情こそが真に道徳的な感情であ り、そうした動機の持ち主こそが貞に有徳なひとな のだという。  ショーペンハウアーは主著第四巻で「心のもち方 の善良さ」について考察していて、「徳についての 理論」を探究している(古者正編第四巻第六六節、邦 訳一四三頁)。そして、後に『倫理学の二つの根本問 題』で明確に述べているとおり、ショーペンハウ アーが徳として提示するのが「正義」と「人間愛」 だ(「道徳の基礎について」第ヱ(節、邦訳三二八頁)。 それをひとつの命題の形にすると「誰をも害するな、 そしてむしろ、できるかぎり万人を助けよ (Neminem laede; imo omnes「 quantum potes「 juva」」となる。 これは「倫理学の最高の基本命題」と呼ばれるもの だ。  「同情」とも訳される「共苦」云EIミットライ ト)は、まさにだれかと「共にヨ{{}「苦しむこと に己皀」である。わたしたちは、他人の苦しみを感 じることなど原理的にはできないはずだ。だが、だ れかが苦しんでいるのだということがありありとわ かって、まるで自分が苦しんでいるかのように、そ の苦しみの原因を取り除こうと身体が動いて助けて しまう、そういう善なる心の持ち主がいる。  「共苦」は、しようと思ってできることではないし、 そうすべきだと押しつけることもできないものだ。 「共苦」の瞬間は到来するものなのである。  ショーペンハウアーによれば、まれに、他者とと もに苦しんでしまうひとがいるのだという。他者を 助けようとする動機をそなえた性格のひともいれば、 エゴイスティックな性格のひと、あるいは他者を苦 しめようとする悪意を持ちやすい性格のひともいる。 そして、生まれ持った性格は不変なのだという。ど んな人間関係で育とうと、いかなる教育を受けよう と、知恵はついても心情は改善されない。ただし、 これが重要な点なのだが、自分や他者がどのような 性格の持ち主なのかは、本当のところは決してわか らない。ある程度のことは経験によってわかってく るだろうが、その全体像はわからないのである。  したがって、自分を見つめるとき、他者とかかわ るとき、そこには必ずブラックボックスになってい る部分があって、わたしたちは自分や相手が善なる 心の持ち主であることを期待し続けるはかない。自 分や他者とのかかわりには、そうした祈りが含まれ ざるをえない。この意味で、だれもがそうした善な る心の持ち主である可能性がある。  ただし、ここまでに見てきたとおり、ショーペン ハウアーの考えでは、そもそもわたしたちはだれも が「生きようとする意志」に支配されているものだ。 エゴイスティックな欲望に振り同され、それが挫折 させられるたびに苦しみ、首尾よく何かを手に入れ てもすぐに退屈して、また別のものを求めてしまう、 そういう無意味で目的のない人生を生きている。だ れかの利益を確保しようとする営みも新たな苦しみ の種でしかなく、だれかを積極的な意味で幸福にし てあげることなど、決してできない。  だから、真に道徳的なひとであっても、「他の 人々の苦しみを緩和してあげるといったこと」くら いしか、できることはない(古者正編第四巻第六七節、 邦訳一五七頁)。そうした道徳的な行いの源泉となる のが、「他人の苦悩に対する認識」であり、「他人の 苦悩を自分の苦悩と同一視している」ときの感情、 すなわち「共苦」なのである。  なぜこのようなことが起こるのだろうか。わたし たちは普段自分の身体だけに意志を見出し、それが 妨げられるときに苦しみを感じる。わたしたちは認 識主観として、自分の表象と他人や諸事物の表象と をはっきりと区別して認識している。そして、わた したちは自分だけを意志と連動しているものととら え、苦しみの源泉とみなしている。だが、「意志」 は、決して私だけに固有のものではないし、表象の 数だけ別々の「意志」があるわけでもない。ショー ペンハウアーによれば、さまざまな表象を個々のモ ノとして区別している状態を突破すれば、「意志」 は一つなのだ。  だれもが実は同じように「生きようとする意志」 に支配され、苦しみを抱えている。「共苦」の瞬間 には、自己と他者を隔てていた「個体化の原理」が 崩れ、だれもが同じ「意志」であることが直観され る。「わたし」はいつも自分だけを救おうと「意志」 によって駆り立てられているが、この「意志は一つ である」という真なる認識に達することによってわ たしと他者との区別が取り去られるとき、生きとし 生けるものが同じ無限の苦しみのうちにあり、救わ れたがっているということがわかる。  ショーペンハウアーによれば、「意志は一つであ る」というこの真理は、ウパニシャッドの「マハー ヴアーキヤ」(偉大な言葉)にも見出すことができる。 すなわち、「タットートヴアムーアシ」(氛?自註) -「汝がそれである」(主著正編第四巻第六三節、 邦訳一一〇頁)。汝は、かの苦しんでいる者と同じも のである。汝は、生きとし生けるものと一つである。  そうして他者の苦しみを自らの苦しみと完全に同 一のものとして認識できたとき、自分だけが救われ たいという動機はかき消える。ただし、このとき真 に道徳的な性格の持ち主は、自分が生きようとする ことを打ち捨てるだけでなく、むしろ自らを犠牲に してでも他者を苦しみから救おうとして身体が動い てしまう。そうして彼は、他者を救い、他者の生を 肯定することを選ぶ。それゆえ「共苦」は利他の教 えであり、完全なる「意志の否定」ではないのであ る。 宗教的禁欲の本質は意志の否定である  では、ここからはショーペンハウアーの主著のク ライマックスであり、その求道の到達点である、宗 教的な禁欲における「意志の否定」について見てい こヽつ。  禁欲は、一般的には、(人格の陶冶や救済、解脱な ど)なんらかの精神的な目標に至るために快楽を節 制することだ。こうした営みを世界中の宗教的伝統 や文化習慣のうちに見出すことができる。たとえば、 ヒンドゥー教社会での婚前交渉の禁止、ジャイナ教 の断食による不殺生の徹底や性的行為の禁止だ。仏 教では、諸派により禁欲の程度が大きく異なるが、 修行中の肉食が禁止されている。ほかにも、キリス ト教のカトリック司祭の妻帯の禁止などが挙げられ る。  ショーペンハウアーによれば、禁欲に向かう諸宗 教には共通する本質があるのだという。キリスト教 の聖者もインドの聖者も、教義においてはそれぞれ 異なるが、彼らのふるまいの出発点にあるのは、ひ としく「意志の否定」という真なる認識である、と いうのがショーペンハウアーの主張である。すなわ ち、どんな宗教であろうとも、真の救済や解脱を達 成するのは「意志の否定」の認識である。  そこで重要なのは、自殺に向かうような暴力的な 行為によって「意志の否定」に至るのではなく、あ くまで「意志の否定」は認識であり、「意志」につ いての哲学的な認識を完成させることでその境地が 訪れるのだということである。そして、ショーペン ハウアーによれば、その境地を保つために、禁欲や 苦行が必要になるという順序になっている。  「意志の否定」とは、ショーペンハウアー哲学かた どり着いた究極的な「認識」である。その「認識」 は、自分も他人も生きることに同じように苦しんで いるという直観にもとづくものである。これは、自 他の区別という認識主観の枠組みを取り除いた、純 粋な「意志」の現象についての直観である。すなわ ち、「意志」が自らを「客観化」することで生じて いた「マーヤーのヴェール」が取り払われ、個体を 生かそうとする動機であることをやめて、「意志」 が「意志」そのものを純粋に自己認識するに至るの である。そうして、他なるものもまた、実は自らと 同じく苦しんでいる「意志」なのだということ、ま さに「汝がそれである」という真なる認識が成立す る。またその認識が、何かをしたいと欲するいっさ いの意欲を否定し、「生きようとする意志」を根本 的に鎮静化するものとなったときに、はじめて完成 に至る。それが完全なる「意志の否定」の境地であ る。  ショーペンハウアーによれば、聖者は「意志」の 本質を直接的に洞察し、完全なる「意志の否定」の 境地に到達していて、その認識が彼らのふるまいを 導いている。彼らは完全なる「意志の否定」の状態 にとどまるべく、「自発的で意図的な貧困」を求め、 「意志のたえざる禁圧」、「意志をしだいしだいに打 ち挫き、押し殺していく」禁欲に身を任せる玉著 正編第四巻第六八節、邦訳一七二頁以下)。  ショーペンハウアーはこうした「意志の否定」の ふるまいとして禁欲や苦行を挙げ、古代インド仏教 を称賛する。「輪廻」からの解脱という思想に見ら れるような、「否定」の生き方をこの上なく高く評 価するのだ。同様に、こうした「否定」の契機は アッシジの聖フランシスコのような、キリスト教の 聖者のふるまいにも同様に見出されるのだという。 そしてそのふるまいはいわゆる「人間愛」を表現す るのみならず、その完成形としては、完全に自己を 放棄すること、すなわち「諦念」(「捨離」、「涅槃」 とも言われる)を表現するものとなるのだという。  ただし、恣意的に「諦念」に至ることはできない。 それは、キリスト教でいう「恩寵」のように向こう からやってくるもの、どうやってたどり着くのかも わからない「無」の境地のようなものなのだという。 ショーペンハウアーにとって、禁欲や苦行によって 否定を続け、「無」の境地にとどまろうとする営み こそが、宗教の本質なのである。  無尽蔵に湧き続ける欲望を肯定し、より多くの満 足感を手に入れようと努力し続けることIわたし たちの日常は、こうした「意志の肯定」という生き 方一色である。だが、出口がないもののように思え る日常を、すなわち「マーヤーのヴェール」を超出 したところにショーペンハウアーは真理を求め、意 志からの自由という希望を見出したのだ。以上のこ とから、ショーペンハウアーの主著『意志と表象と しての世界』は、意志の支配からの自由の可能性を 探究した哲学書だといえるだろう。わたしたちがな ぜ生きよう生きようとするのかを哲学的に主題化し、 人生の本質に迫るこの書は、欲望に駆り立てられて、 ぎりぎりの選択を続けて生きていく人生に惓み疲れ た現代人にとって、そもそも人生とは何なのかを哲 学的に問い直すための最良の手引きとなることだろ 第三章 人生いかに生きるべきか I晩年の『余録と補遺』に見る処世の哲 学 I ショーペン(ウアー哲学のもう一つの側 面 求道の哲学/処世の哲学  ショーペンハウアーがその主著『意志と表象とし ての世界』で提示しだのは、〈求道の哲学〉たった。 すなわち、ショーペンハウアーは生きることの苦し みを主題化し、その元凶である「意志」を否定する ことを根本教説として提示したのである。若き ショーペンハウアーは、苦しみに満ちたこの世の醜 さに「否」をつきつけ、無目的な意志の支配を断ち 切ろうとし、自由への逃走を試みたのだともいえる だろう。「青春の哲学」と呼ばれる所以もここにあ る(『ショーペン『ウアー 随感録』、秋山英夫訳、「解 説」三二六頁)。  だが、ショーペンハウアーが書いたもののなかで、 最も多くの読者を獲得してきたのは彼の主著ではな い。それは、彼が六三歳になった頃、一八五一年に 刊行した『余録と補遺』という著作である。そこに 収録されていた「人生の知恵のためのアフオリズ ム」(Aphorismen zur )ebensweisheit)が大変な人気を博 した。その内容は驚くべきことに、幸福論である。 すなわち、若者に向けて、人生の酸いも甘いも知る 熟年期のショーペンハウアーが生き方の知恵を授け てくれる、生き方についての指南書だ。このような 人生訓の類書は、西洋では古代ギリシアのヘシオド スやアリストテレスの『二コマコス倫理学』以来。 二〇世紀のアドルノ『ミニマーモラリア』にいたる まで、豊かな伝統がある。『余録と補遺』は、イギ リスでショーペンハウアー思想についての紹介記事 が出てから広く読まれるようになり、ついには ショーペンハウアーをヨーロッパで最も影響力のあ る書き手の一人にした。  第三章では、この『余録と補遺』について取り上 げることで、ショーペンハウアー哲学の人生論とし ての側面に光を当てていきたい。  ショーペンハウアーの幸福論は、幸せを願う読者 の期待を鮮やかに裏切って、幸福になりたいだなん て、無駄だからやめておけと言ってのける。この書 は、ありきたりな指南書や自己啓発本とちかって、 自己欺瞞に導いたり、優しい言葉で読者の承認欲求 を剌激したり、欲望のはけ囗を与えて甘やかしたり はしない。むしろ皮肉と軽妙な語り囗によって冷や 水を浴びせ、不思議とすっきりした「あきらめ」の 境地に導いてくれるような、他に類を見ない生き方 指南書となっている。ショーペンハウアーは、わた したちが日常的に幸福と呼んでいるものの正体を 「あきらかにする」ことで、「あきらめる」ことへと 導いてくれる。つまり、この本が示してくれるのは 諦観の思想であり、ショーペンハウアー哲学の人生 論としての側面である。 パレルガーウントーパラリポメナ  これが『余録と補遺』の原題だ。主著やほかの著 作に収まりきらなかった論稿を拾い集め、補完的に まとめたもの、ということだろう。この本はあくま で主著の添え物であり、その哲学の核心は変わって いないのだということが、タイトルからして強調さ れているわけだ。だが、光源と角度を変えることで 異なる輝きを放つ宝石のように、この著作はショー ペンハウアー哲学の思いがけない魅力を示してくれ る。 『余録と補遺』第一巻には、六つの論稿が含まれて ヽる*19-  ①「観念と実在に関する学説史の素描」  ②「哲学史のための断章」  ③「大学の哲学について」  ④「個人の運命に宿る意図らしきものについての   超越的思弁」  ⑤「視霊とこれに関連するものについての研究」  ⑥「人生の知恵のためのアフォリズム」(邦題   『幸福について』)  この六番目のエッセイが『余録と補遺』の中心と みなされていて、ドイツでは現在もなおレクラム文 庫で読み継がれている。日本でも、『幸福につい て』’20というタイトルで文庫本として手に入る。 『読書について』や『自殺について』といった文庫 は、『余録と補遺』第二巻から抜粋されたものだ。  主著で示されたとおり、ショーペンハウアー哲学 の根本教説は「意志の否定」だ。この世のすべてを 厳しく否定し解脱に向かう、〈求道の哲学〉である。 これはたいていの人にとっては実現しがたい、少数 の者のための峻厳な思想だといえる。『余録と補遺』 でも「意志の否定」が根本教説だという点は変わら ない。  ただし、明確な違いがある。後者で想定されてい る読者は、「意志の否定」の重要性はわかるのだけ れども、それでもこの世で生きていかなければなら ないたいていの者たちであり、そうした者たちのた めの実践の書になっていると考えられるのだ。 ショーペンハウアー自身、卑屈に嘆き続けていたわ けでも、ひたすら禁欲と苦行に身を捧げたわけでも ない。堂々たる哲学的な真理を胸に抱きつつ、生き 生きと暮らしていたことが、その晩年の暮らしぶり をみれば明らかである。 プードルと散歩する哲人。21  ショーペンハウアーが『余録と補遺』を執筆した のは、フランクフルト時代である。  フランクフルトでのショーペンハウアーの暮らし ぶりは、落ち着きのある、楽しい日々だったようだ。 朝起きて家事をすませたら、午前中は読書をし、フ ルートでロッシーニを吹く。昼には決まって街の中 心部にあった高級店「イギリス亭」に出かけ、「カ ジーノ協会」の図書室に寄ってから、プードルと午 後の散歩に行った。生涯読み続けてきた『タイム ズ』誌で世界情勢をチェックし、ガス燈に照らされ た夜の街にはあまりでかけず、ウパニシャッドなど を読んで静かに過ごしていたといわれている。  ショーペン(ウアーは、ゲッティングンでの学生 時代からずっと、プードルを飼っていたといわれて いる。フランクフルトでも自いプードルを飼い、最 晩年は茶色のプードルと暮らしていたらしい。とり わけ愛情をこめてこの茶色いプードルを「ブツツ」 (Butz小さな了)と呼んでいたようだが、ショーペン ハウアーはすべてのプードルに「アートマン」とい う同じ名前をつけていたともいわれている。アート マンとは、インド哲学の中心概念の一つで、すべて の個々の魂の源である「真の自我」のことだ。 ショーペンハウアーがどのプードルにも同じ名前を つけたのは、個々のちがいを超えて生きとし生ける ものすべてを愛しているのだという考えだったのか もしれない。22。  丈の長い古風な上着を着て、プードルとともに午 後の散歩を楽しむショーペンハウアーは、フランク フルト市民のあいたでもちょっとした有名人だった らしい。その姿は、峻厳なる否定の哲学者にして、 「生の悲惨さ」を見つめるペシミストだった若き ショーペンハウアーのイメージとは、ずいぶん趣き が異なっている。むしろフランクフルト時代の ショーペンハウアーは、「生の悲惨さ」という現実 をまっすぐに見つめたからこそ幸福な人生を手に人 れ、堂々と人生を謳歌したように見える。はたして、 晩年のショーペンハウアーにとって生きるとは、幸 福とはどういうことだったのだろうか。ここからは ショーペンハウアーの人生論をさまざまな切り囗か ら紹介していこう。 2 ショーペン(ウアーのアフォリズム 自分で考えること  『余録と補遺』には、ショーペンハウアーの人生論 のエッセンスが凝縮されたアフォリズムが数多く収 録されている。アフォリズムとは、短い断片的な文 章で語られる警句や箴言のことだ。まずは、第二巻 の「自分で考えること」から。   結局のところ、自分で根本的に考えたことにだ   け真実と生命がある。それだけが本当に完全に   正しく理解できるものだからだ。本で読んだ他   人の思想は、他人の食べ残し、他人が脱ぎ捨て   たお古にすぎない。    わたしたち自身の内に生じる思想が春に咲く   花であるのに比すれば、本で読んだ他人の思想   は石に刻まれた太古の花の跡のようなものだ   (「自分で考えること」『余録と補遺』第二巻第二二   章第二五九節)。23.  自分で考えること(Selb窟enken)'それが何かを 考えるときに最も重要なことなのだ。「読者」でい ることに慣れすぎているわたしたちは、すぐに最短 距離で他人の思想を学ぼうとしてしまう。だが、自 分の言葉で表現できるようになる瞬間が来るまで、 花が咲くのを春まで待つように、時間をかけたほう がよい。哲学的な思索は「急がば同れ」だというこ とだ。でなければ、本当に何かをわかったことには ならない。視点を変えてみれば、ショーペンハウ アーが書いたものをわたしたちがありがたがるのは おかしいということにもなるだろう。これがおかし いと思えてこそ、ショーペンハウアーが言っている ことがわたしたちに伝わったということになる。本 なんて読まずに、自分で考えたほうがいい。こうし たことを明け透けに言ってのける遠慮のなさにも、 ショーペンハウアーの文章の魅力がある。 「心理学的覚え書き」から 次に、「心理学的覚え書き」から引用しよう。  ねらってそうしたわけでもないのに的を射てい  ることに、ヨーロッパのあらゆる言語で、個人  を表すのにヘルソン(?回目)という語が用い  られる、ということがある。というのもヘルツ  ナ(罵回O回)はもともと俳優の仮面という意味  であり、いかなる者もあるがままの自分を示す  ことはなく、むしろ誰でも仮面をつけて役を演 じているものだからだ。総じて社会生活の全体 はたえず喜劇の上演である。間抜けな者たちは それを大いに気に入っているが、中身のある者 たちは、そのために社会生活などばかばかしく なるのである(「心理学的覚え書き」『余録と補遺』 第二巻第二六章第三一五節)。24。 偉大で抜きんでた性質の者たちは、自分の欠点 や弱点を自ら平気で認めたり、見せようとした りする。彼らはそうすることで弱点が帳消しに なる、あるいはそうした弱点が彼らの恥になる どころか、むしろ弱点を栄誉に変えることにな るとさえ考えているのだ。とりわけこのことが 事実そのとおりであるのは、欠点がまさに彼ら の偉大な性質と結びついている場合である。つ まり欠点がその不可欠の条件になっている場合 で、Tこジョルジューサンドが言っていると おり、「だれでも自分の徳にふさわしい欠点を 持っている」ものなのだ(「心理学的覚え書き」 『余録と補遺』第二巻第二六章第三四二節、邦訳二 三二頁以下)。25。  箴言家としてのショーペンハウアーは、わたした ちの心痛のもとになっている思い込みを短く鋭い言 葉の一突きで雲散霧消させ、肩の力を抜いて生きる ことを教えてくれる。  たとえば、最初のアフォリズムで念頭に置かれて いるのは、人づきあいに悩んでいるひとのことだ。 ショーペンハウアーによれば、人づきあいなどそも そも仮面をつけた化かしあいにほかならないのだか ら、そんなことを真剣に悩む必要などないのだとい  あるいは、二つ目の引用で念頭に置かれているの は、自分の弱点や欠点を気にして、それを隠そうと ばかりする人のことだ。そうした大は、そもそも自 分のことを積極的に理解しておらず、欠点がないこ とを自分のとりえだと思っている。しかし、欠点が あるということは、むしろ美徳の持ち主の証なのか もしれない。過度に憶病な者は危機察知能力に優れ ているのかもしれないし、傷つきやすく繊細な者は 人一倍他人に優しくできる可能性を持っている。そ して、ショーペンハウアーによれば、たとえそうし た長所を自覚できていなくとも、欠点は隠すよりも 見せたほうがよいのだという。自分の欠点を認めら れる人は、その程度の欠点では自分の真の姿は傷つ かないのだということを周りの人に示すことができ るからだ。 3 幸福とは何か  『幸福について』という書物  ここでは、『余録と補遺』の白眉であり、ショー ペンハウアーの人生論としての側面が凝縮されてい る『幸福について』がどういう書物なのかを確認し ておこう。  まず、この論稿は「序言」から始まり、「第一章 根本規定」、「第二章 『その人は何者であるか』に ついて」、「第三章 『その人は何を持っているか』 について」、「第四章 『その人はいかなるイメージ、 表象・印象を与えるか』について」、「第五章 訓話 と金言」、「第六章 年齢による違いについて」とい う六章からなる。  第一章では、人間を幸福にする「三つの財宝」が 規定され、第二章から第四章はその三つについて詳 しく論じられていく。第五章は、それぞれテーマの 異なる五〇以上もの断片的な短い文章からなり、少 しずつ読み進めるにはぴったりの箇所になっている。 第六章で、幼年期と青年期、そして老年期をどう過 ごすべきかを論じることで、この書物全体が締めく くられる。  なお、注意しておいてほしいのは、この書物には 男尊女卑や人種差別が含まれているということだ。 もちろん、古典を真に理解するためには、読者たる 自分自身よりも著者のほうが全面的に正しいはずだ という前提で読む必要がある。だが、差別的・暴力 的な言説についてはそのかぎりではない。それを真 に受けてしまうことで読者自身が傷つき、あるいは その内容を広めることで誰かを傷つけてしまう危険 性があるからだ。したがって、ショーペンハウアー の『幸福について』は、批評的意識をもって読む必 要がある、取り扱い注意の書物なのだと言っておか ねばならない。 幸福についての臆見  では、いよいよ『幸福について』の内容を見てい きたい。「人生をできるだけ快適で幸福なものにす る」こと。それが『幸福について』の冒頭でショー ペンハウアーが掲げる生き方の指針である(邦訳九 頁)。この「できるだけ」というところが、ことの ほか重要である。わたしたちは、「できるだけ」の 範囲を見極めなければならない。これは、より多く の幸福を求めるのではなく、「できるだけ」苦しみ を少なくすることだと解釈できる。それが失望のう ちに沈みきってしまわぬように生きていくための秘 訣なのだ。  すなわち、「思慮分別のある人は、快楽ではなく、 苦痛なきをめざす」。これをショーペンハウアーは 『幸福について』第五章冒頭で、アリストテレスの 『二コマコス倫理学』が提示した「人生の知恵の最 高原則」だとしている(邦訳一九〇頁)。  幸福とはいったい何だろうか。わたしたちは幸福 になりたいと願い、当たり前のように、「~したい」、 「~になりたい」という欲望がより多く満たされ、 快楽が得られれば幸福になれると考えている。そう して欲望を満たし続けて、ずっと快い生活が続くこ と、それが人生の究極目標だとさえ考えてしまいが ちだ。だが、人生には挫折と失望がつきものである。 そもそも欲望というものはたいていの場合、他者の 欲望とぶつかってしまい、すぐに挫折させられてし まう。挫折を乗り越えて他者を打ちのめし、欲望が 満たされて快楽を感じることがあったとしても、す ぐに退屈がやってきて、別の欲望がまた襲ってくる。 欲望にゴールはない。  はたして、「欲望の満足=快楽=幸福」というの は、正しい考えなのだろうか。これはむしろ、哲学 的な吟味によって退けるべき臆見なのではないか。 この臆見を抱え込んでしまっているために、わたし たちはむしろ苦しんでいるのではないか。  ショーペンハウアーの幸福論は、「どうすれば欲 望を満たすことができるか」を教えてくれはしない。 むしろ、「より多くの欲望を満たせばより幸せにな れる」という、幸福についてのお決まりの臆見を解 体することをねらっている。「より幸せになろうと する」よりも、「できるだけ苦しみを少なくする」 こと。それが、人生そのものに失望してしまうこと を避け、心穏やかに生きていくためにショーペンハ ウアーが教えてくれる「人生の知恵」なのである。 三つの財宝  ここからはさらに、『幸福について』の内容を詳 しく見ていこう。「第一章 根本規定」では、先述 したとおり、幸福の礎となる「三つの財宝」につい て規定されている。要は、それらを持っているかど うかで、幸福な人生になるかどうかが決まってしま うのだというのだ。  第一に、「そのひとは何者であるか」。すなわち、 人柄や個性、人間性などの内面的性質が第一の財宝 とされる。そこには健康や力、美、気質、徳性、知 性、そしてそれらを磨いていくことも含まれるのだ という。  第二に、「そのひとは何を持っているか」。これは、 金銭や土地といった財産、そのひとが外面的に所有 するものだ。  第三に、「そのひとはいかなるイメージ、表象・ 印象を与えるか」。これは、端的に言って他者から の評価であり、名誉や地位、名声である。  わたしたちはたいてい、第二のものや第三のもの を追い求めてしまう。まさにこれらは、「~がほし い」、「~されたい」という欲望の対象で、どれほど 多くを手に入れても、決して満足できないものであ る。したがって、何かを手に入れさえすれば幸福に なれるという考えは、取り去るべき臆見だといえる。  もちろん、こうした第二、第三の財宝がまったく 価値がないものだということではない。生きていく ためにはこれらが必要であることは言うまでもない し、それらを手に入れることをよいことだとわたし たちは当然考えているし、社会生活もまたそれらの 価値を中心に出来上かっている。そうしたものをI 切捨て去るべきだというのが主著の〈求道の哲学〉 だとするならば、『幸福について』で力点が置かれ ているのは、第二、第三の財宝よりも第一の財宝の ほうが価値あるものだという優先順位を「あきらか にする」ことである。  結局のところ、「~がほしい」、「~されたい」と いう欲望を節制し、コントロールできるような、穏 やかな内面的性質を備えているひとこそが幸福な人 生を送るのではないだろうか。すなわち、ショーペ ンハウアーによれば、あるひとが幸福な人生を送る か、それとも不幸な人生を送るのかは、第一の財宝 である内面的性質に最も左右されるのだという。  たしかに、人生の道行きの中で、その出発点に何 を所有していようとも、またどんな出来事が起き、 ひとにどう思われるに至ろうとも、それをどう感じ るかは、そのひとの内面的な個性による。  たとえば、気高い性格や、明晰な頭脳、楽天的な 気質、心根の明るさ、心身ともに健康であること、 こうした諸性質をいくらかもっていて、さらに維持 増進していける人は、幸福な人生を送るための基盤 が備わっているのだといえる。わかりやすいのは心 身の健康だ。これがないと、どれだけ多くの財産を 持っていても、そもそも楽しんだり快楽を感じたり することさえできず、幸福だとは言えないからだ。  わたしたちはたいてい、「~さえ手に入れば、~ に認めてもらえたら、~にさえなれれば幸せになれ る」と考えてしまいがちだ。だが、何か手に入ろう と、誰に認められようと、陰気な者は決して喜ぶこ とができず、憂鬱な気質の者はずっと不安から逃れ られない。気高い性格をした者は、世間が羨ましが るような莫大な財産や高い地位など持っていなくて も、自分が自分であるだけで満ち足りていて、誇り を失うことがない。  ショーペンハウアーによれば、陽気であったり陰 気であったりする気質や、明るかったり憂鬱だった りする気分の原因となっているのは、身体の奥深く に備わっている、不変の内面的な性質なのだという。  内面的な性質は、心の中で「受容力と再生力との バランス」を生み出すものだ(邦訳三四頁)。わたし たちの心は、外面的な刺激をさまざまな仕方で受け 止め、また通常の状態に戻るための、心の反応力と でも呼ぶべき力を備えている。それがどの程度の強 さなのかはひとによって異なっていて、明るい気質 のひとは何か起きても軽やかに受け止め、次のプロ セスにすぐに進もうと軽やかな反応を見せるだろう。 これに対して、憂鬱な気質のひとは、どんな出来事 にも過度の感受性を示して重く受け止め、細部まで 探り尽くさないうちは不安で決して次に進めないも のである。 内面の富  以上のように、あるひとがいかなる内面的性質を もっているのかが、幸・不幸を隔てる最も重要な要 素となる。これをショーペンハウアーは「内面の 富」と呼んでいる。わたしたちはたいてい、財産や 他者からの評価など、外面的なものに気を取られて しまいがちだ。だが、「内面の富」を持っている者 は、「まったく輸入せずにすむ国がいちばん幸福で あるように」、外からやってくるものを必要とせず、 自らに満足できる。すなわち、    だれでも、自分にとって最良で肝心なことは、   自分自身であることにちがいないし、自分に   とって最良で肝心なことは、自分自身で成しと   げるものだ。自分にとって最良で肝心なことが   多ければ多いほど、したがって、自分自身の内   に見出す楽しみの源泉が多ければ多いほど、そ   れだけ幸福になる(邦訳四八頁)。  もちろん、財産の多寡や他者からの評価などの外 面的な富をまったく気にせずにいられるひとなどい ないだろう。わたしたちは日々これらのことを気に かけ、神経をすり減らしている。だが、ショーペン ハウアーは以下のように断言する。   およそ生あるものは、自分自身のために、何よ   りもまず自分のために独自の生を営み生存する   ほうがよい。-どんな在り方でも、自分自身   にとって最優先すべき最も大切なことは、「自   分は何者なのか」ということであり、もしも、   たいした価値などありはしないというなら、そ   もそも、たいしたものではないのだろう(邦訳   一七五頁)。  外からやってくるものよりも、内に備わっている ものこそが、幸福の源泉なのである。財産や他者か らの評価よりも、自分で自分を評価し、そうして見 出した内なる本質を育て、開花させていく孤独な営 みこそが、幸福につなかっている。もしも自分が 「内面の富」なんて一つも持っていない、そんなた いした人間ではないというなら、そんなちっぽけな 者がどうなろうと、そもそも気に病む必要などない だろう。  何をどれだけ手に入れたか、ひとからどう思われ たか。こうした外面的なことがらよりも、自らの内 にもともと宿っている「富」に目を向けることが重 要なのだといえる。たとえそれがいまだ種でしかな くとも、いつか花開いて実を結び、幸福という収穫 をもたらすその日まで水をやり続けること。それが ショーペンハウアーの教える、幸福への第一歩なの である。 生きることと老いること  すでに見たとおり、ショーペンハウアーにとって 幸福とは、より多くの欲望を満たすことではなく、 むしろなるべく欲望を鎮め、心の平穏を得ること だった。そのために、次から次へと欲望を掻き立て る「外面の富」よりも、もともと備わっている「内 面の富」に目を向けるべきなのである。  青年期には、より大きな幸福への憧れに支配され て、欲望のままに行動したくなるものだろう。そう して青年は欲望にひきずられながら世間をさまよい、 美しい印象を与えるものを欲しがり、自分もそうあ ろうと我を忘れてしまう。ショーペンハウアーによ れば、「青年期は詩に向いており、老年期は哲学に 向いている」(邦訳三七〇頁)。  老人は、これまでに培った経験によって、ことに 人生の後半部には、幻影のような幸福よりも、不幸 のほうが実在的なものだということが理解できるよ うになるのだという。長く生きていれば、周囲にい た人々がどんどん視界からいなくなっていき、死を 目の当たりにしていくものである。そのとき、生に ついて客観的に考えれば、その本質が苦しみである ということがわかるようになるのだ。だから、とり わけ老年期になると、より大きな幸福を求めて避け がたい苦しみのなかに自ら飛び込んでいくよりも、 なるべく不幸を避けて、心穏やかに暮らすことこそ が真の幸福だということに気がつくのである。 魂の世話  ショーペンハウアーの『幸福について』における 幸福論は、「魂の世話」としての効用をもっている と言ってもよいだろう。古代ギリシアーローマ以来 の哲学思想の伝統のなかには、哲学的に考える方法 やその教えをある種の「ケア」(‥世話、気遣い)と みなす思潮がある。もちろん、哲学というものは 「知への愛」であり、真理の探究をねらいとする、 純粋に理論的な営みである。だが、心痛のもとに なってしまうような臆見や思い込みを解消する哲学 の営みは、健康でバランスの取れた、理性的な人生 を生きるための、ケアの一環としても広く理解され うるものである。  たとえばソクラテスは、金銭や評判、名誉のこと よりも、「魂」をできるだけ優れたものにすること を何より重要なことだとみなしていた。あるいは、 古代ギリシアのエピクロスという哲学者は、死の恐 怖を癒すために、ある種のセラピーとして唯物論の 考えを提案していた。すなわち、この世界に物質し か存在しないのだとしたら、死後の世界や自分の魂 のゆくえを怖がる必要はないのだとしたのである。  この伝統において、哲学的に考えることとは、こ とがらの本質を客観的に解明することによって、非 理性的な欲望を鎮め、心を乱してしまう臆見を解体 する営みだったといえるだろう。この伝統のうちに ショーペンハウアーを位置づけられるのだとすれば、 彼が示してくれている幸福への道のりとは、何かを 手に入れて欲望を満たすことなのではない。むしろ 「意志の否定」の立場から、苦しみの源泉となって いる臆見を客観的な議論によって解体し、欲望を鎮 静化させる道のりである。ショーペンハウアーの哲 学は、「意志の否定」という真理に照らして、過ぎ たものを求めることを「あきらめ」、より重要な幸 福の種が何なのかを「あきらかに」することで、心 を穏やかに生き抜く術を教えてくれるのである。  以上のことから、『幸福について』に最もよく表 現されている晩年のショーペンハウアーの思想は、 〈処世の哲学〉として特徴づけることができるだろ う。若き日の〈求道の哲学〉は、俗世を逃れて「意 志の否定」という無の境地を彼方に求め、身を賭し て完全なる自己放棄を目指す、求道の哲学だった。 これに対して晩年の〈処世の哲学〉は、「意志の否 定」という真なる認識をあらゆる物事に応用し、も はや欲望に惑わされることなく堂々と俗世を闊歩す る、老練なる処世術なのである。 第四章 ショーペン(ウアー哲学のア クチュアリティ  現代日本社会はとにかく生きづらく、どう生きる べきかを見出しがたい状況にある。そうしたなかで こそ、生の本質を見つめ続けたショーペンハウアー の哲学が読まれるべきだ。  本書では第一章で、ショーペンハウアーがなぜ 「生の悲惨さ」を主題とする哲学者となったのか、 その生涯と旅路を追った。そうした「生の悲惨さ」 の根源が「生きようとする意志」にあることを喝破 して、ショーペンハウアーは完全なる「意志の否 定」の境地を目指した。これについては第二章で 扱ったが、続く第三章では、ショーペンハウアーが 到達した「意志の否定」という叡智にもとづく生き 方について、処世の哲学として特徴づけた。  第四章では、以上のようなショーペンハウアーの 哲学が、現代日本社会に生きるわたしたちが苦しみ、 悩んでいる問題に、どのような回答を指し示してく れるのかを考えていきたい。  以下で詳しく取り上げるのは、(匸明治以降日 本人が抱えてきた「人生問題」について、(二)現 代の反出生主義における「生まれてこないほうがよ かった」という考えについて、(三)わたしたちの 考え方と行動を束縛する歴史のうねりについて、と いう三つのトピックについてである。  なお、付言しておくと、この三点以外にもショー ペンハウアー哲学にはさまざまな応用可能性がある。 たとえば近年議論が盛んになってきている動物倫理 についてた。人間が一方的に動物を食物や愛玩物と して利用する関係は、不公正なのではないか。それ が動物倫理の出発点となる問いである。今日、人間 と動物との公正な関係が問い直され始めている。  第二章で見たとおり、ショーペンハウアーは「意 志は一つである」と考えていた。主著でショーペン ハウアーは古代インドの叡智を引用してこう表現し ている。「汝がそれである」(ほどヨ阯)-人間も 動物も、生きとし生けるものは同じ苦しみを抱えて いる。したがって、人間だけが苦しんでいるのでは ない。苦しんでいる動物を根本的には人間と同じと みなすことこそ、公正な認識というものだ。この洞 察にもとづくショーペンハウアーの倫理学が目指す のは、動物のみならず、生きとし生けるものを愛し、 その苦しみを緩和することである。このように、 ショーペンハウアーの主張は、人間中心主義を否定 し、「共苦」という考え方によって動物を救う動機 を基礎づける存在論および倫理学として解釈できる のである。 1 明治日本におけるショーペン(ウアー受 容  実は、日本の先人たちもまた、生きづらさが増し た時代にこそ、ショーペンハウアーを読んできた。 ここではまず、明治期の日本におけるショーペンハ ウアー受容について見ていきたい。  日本でドイツ思想が注目され、積極的に取り入れ られるようになっだのは明治一〇年代中葉以降のこ とである。先進的なイギリスーフランスの思想に触 発された自由民権運動の勢力を抑えるべく、明治政 府はより保守的なドイツの学問の研究を奨励したの である。そうしてカントやフィヒテ、シェリング、 ヘーゲルらのドイツ観念論の受容が始まり、国内に おける哲学研究の主要な対象となった。  その主な紹介者として、東京帝国大学で哲学を教 えた井上哲次郎や、ドイツからやってきた哲学者ラ フアエルーケーベルの名を挙げることができる。彼 らのもとで学んだ門下生たちが、その後の国内にお ける哲学研究の基礎を造ったと言っても過言ではな いのだから、井上とケーベルの影響力は測り知れな い。  実は、こうした明治期におけるドイツ哲学の受容 に大きな役割を果たした先人たちの多くは、先進的 な雰囲気をもち自由の気風を重んじるショーペンハ ウアーの哲学を高く評価していて、その伝道者とし ての役割を果たしていた。ここからは、彼らの足跡 をたどり、ショーペンハウアーと日本人との最初の かかわりを見ていこう。26。 井上哲次郎。ケーベル。高山樗牛  井上哲次郎(一八五五~一九四四年)はドイツに留 学して哲学を学び、一八九〇年に帰国して帝国大学 で日本人最初の哲学科教授となった人物である。留 学中は、哲学者エドウアルトーフオンーハルトマン ニハ四二~一九〇六年)や、ニーチェの友人のイン ド学者で、後のショーペンハウアー協会の創設者で あるパウルードイッセン(一八四五~一九一九年)と 親交を結んだ。ハルトマンは、ショーペンハウアー から深く影響を受けながらもヘーゲル主義の哲学を 構築した人物であり、井上自身の哲学にも(ひいて はその門下で学んだ凵本の哲学者たちにも)大きな影響 を与えている。  井上は帰国後、東洋と西洋の哲学史を講義し、特 に好んでカントとショーペンハウアーについて論じ た。彼が伝えたのは、仏教にひきつけたショーペン ハウアー解釈である。つまり、ショーペンハウアー 哲学は日本に紹介され始めた当初から、西洋と東洋 をつなぐグローバルな哲学としての役割を期待され ていたのである。  ラフアエルーケーペル(一八四八~一九二三年)は、 ルートヴイヒーブッセ(一八六二~一九〇七年)の後 任者として、一八九三年に帝国大学に着任し、哲学 や古典語を教えた人物である。学位論文でショーペ ンハウアーについて扱い、著作にも『ショーペンハ ウアーの救済論』や『アルトウールーショーペンハ ウアーの哲学』がある。彼が来日するに至つだのは、 井上哲次郎がハルトマンに相談したところ、ハルト マンがケーベルを推挙し、また井上も手紙で「桜咲 く日本」にぜひ来てほしいと頼み込んだからだと言 われている。  ケーペルのもとで多くの著名な日本人哲学者が 育った。たとえばその講義の主な聴講者に、西田幾 多郎、桑木嚴翼、姉畸正治、波多野精一、阿部次郎、 田邊元、安倍能成、九鬼周造、和辻哲郎らがいる。 教養主義者で知られるケーベルは、ハルトマンの 「救済」論にひきつけて神秘主義的に解釈した ショーペンハウアー哲学の伝道者でもあった。  なお、日本人がドイツ哲学を学び始めた頃、日本 語で書かれた哲学書といえば、三宅雪嶺(一八六 〇~一九四五年)による『哲学涓滴』と『我観小景』 くらいしかなく、そのいずれにおいてもショーペン ハウアーの意志の哲学は高く評価されている。  もう一人、ショーペンハウアー哲学の紹介者とし て、明治期の思想家である高山樗牛(一八七一~一 九〇二年)を忘れてはならない。彼は、後にニー チェ思想を個人主義として紹介し、いかに生きるべ きかという問題を論じて広く読者を獲得した。すで に一八九二年、『文学会雑誌』でショーペンハウ アーの意志説を厭世論として紹介していたが、より 本格的にショーペンハウアー哲学を論じたのは『帝 国文学』に掲載した「人生の価値及び厭世主義」で あり、ショーペンハウアーはようやく、いかに生き るべきかを論じた思想家として知られるようになっ た。  「人生問題」とショーペン(ウアー  明治時代、とりわけ明治二〇年代から三〇年代に 厭世論としてショーペンハウアー思想が受け入れら れたのは、当時の青年エリートたちの多くが「人生 問題」に悩んでいたからだろう。彼らは、伝統的な 文化や慣習の束縛から逃れ、西洋的な近代市民とし ての自我をいかに確立するかを追究しようとしてい たために、心に深刻な葛藤を抱えていた。個人とし てどう生きるべきかを真剣に悩み、苦しんでいたの である。  この時代は、個人というものに焦点が当たった時 代だともいえる。それまで日本にジャンルとして存 在しなかった小説が登場して文化の中心となり、二 葉亭四迷の『浮雲』に代表されるように、生き方に 悩み、煩悶する個人が題材とされた。小説が身近な 娯楽になるにつれ、かけがえのない個人としての生 き方への関心が高まり、「人生問題」を現実的なも のにしたのである。  「人生問題」は明治期でなんらかの解決を見たわけ ではない。たしかに、国家全体で急速な発展を求め た明治期の激動に比すれば、大正期は多くの民衆に とって安定の時代だったといえるだろう。ただし、 この時代、いかに生きるべきかという問題は、より 複雑化し、解決しがたいものになっていったのだと 考えられる。  たとえば、青年の心の葛藤に焦点を当て、西洋哲 学の論理を手がかりに、内面の理想を究明しようと した随筆評論集である阿部次郎の『三太郎の日記』 二九一四年)は、旧制高校生や大学生の必読書とし て広く読まれた。いわゆる大正教養主義である。デ カルトーカントーショーペンハウアーの頭文字を とって「デカンシヨ」と言われ、兵庫篠山地方の盆 踊りの歌にこじつけて「デカンシヨ節」が歌われる ようになる。学生たちがどこまで真剣だったのかは わからないが、この時代に、西洋の哲学書を読んで 内面を磨き、立派な人格を形成しなければならない という風潮が確かにあったのである。  大正のベストセラーといえば、芥川龍之介の『羅 生門』だろう。この作品はもともと、大正四年二 九一五年)に『帝国文学』に掲載されたものだ。そ こで描かれたのは、悪を嫌って餓死するか、それと も生きるために盗人になるか、という二者択一であ り、救いのない現実である。ショーペンハウアー哲 学とも相通じるような、「生の悲惨さ」が表現され ているといえるだろう。  このように、明治期以降ショーペンハウアーは西 洋を代表する哲学者の一人として、「いかに生きる べきか」を考察した先駆者として、国内で広く読ま れてきたのである。  では、明治以降日本人が抱えてきた「いかに生き るべきか」という問題に、ショーペンハウアーなら ばどう回答するのだろうか。答えは一つ、「意志の 否定」である。その真なる認識に至るまで、哲学的 な求道を歩むはかない。    真の救い、生と苦悩からの解脱は、全面的な   意志の否定なしにはおよそ考えられない。意志   が否定されるまでは、人は誰でもまさしくこの   意志そのものにほかならないのであるつ王著正   編第四巻第六八節、邦訳二〇七頁)。  混迷を極める現代社会に生きる者にとって、いか に生きるべきかという問題は、いよいよ喫緊のもの となり、わたしたち一人ひとりの選択の重みは、他 のどの時代よりも増している。わたしたちがいかに 生きるか、どのような選択肢を選ぶのかが、イン ターネットを通じて瞬く間に地球上に広まり、将来 世代の生存環境にも直結してしまっているからだ。 ただし、グローバル化を経て視野が広かった今こそ、 東洋と西洋をつなげ、あるいはそうした狭い枠組み を超える可能性を秘めた哲学として、ショーペンハ ウアーが再び読まれるべき時代が来たといえるだろ う。今こそ先人に倣って、生の本質を見つめる哲学 的な求道を開始するべきときなのではないだろうか。 2 ショーペン(ウアーと反出生主義 ペネターの反出生主義  ショーペンハウアー哲学のアクチュアリティとし て、他にはどのようなことが考えられるだろうか。 たとえば、「生きることは苦しみである」という彼 の主張は、現代の反出生主義の議論にも大きな影響 を及ぼしているとされ、注目を集めている。  反出生主義とは、「すべての人間あるいは感覚あ る生物は、生まれてこないほうがよい」という倫理 学上の立場のことだ。27。注意してほしいのは。 「生まれてこないほうがよかった」からといって。 「では死ねばよい」ということにはならない、とい う点である。反出生主義の倫理学は、「生まれてこ ないほうがよかった」という立場で生きる人がいて もよいのだということを、大多数の「生まれてきて よかった」ということを当然のことだと思っている 人に対して伝え、抑圧を禁じるものである。という のも、倫理学はまさに、どういう生き方が本当に 「よい」生き方なのかを探究し、従来の臆見を更新 していく学問だからである。こうした倫理学の研究 領域の中で反出生主義が理論的な立場として取り上 げられたのは、ニー世紀に入ってからのことだ。  反出生主義の理論化によって大きな議論を呼び起 こしたのが、デイヴィッドーペネターの著作『生ま れてこないほうが良かった』である。28.ペネター によれば、わたしたちは生きているかぎり、苦痛や 不快などの避けるべき「害悪」を必ず経験するのだ という。こうした「害悪」は、無いほうがよい。そ もそも生まれてこないほうが、生まれてきて「害 悪」を経験するよりもよいのではないか。29。ここ に響いているのは、古来、世界中のいたるところで 叫ばれてきた、「生きることは苦しみである」とい う洞察である。  この洞察は古代のギリシア文学やインド哲学、仏 教思想に表れ、近代ではゲーテやショーペンハウ アー、ニーチェによっても共有されてきた。  たとえば仏教は、まさに生老病死を苦悩として位 置づけ、「解脱」を説いてきた。あるいは、古代ギ リシアでも、「生きることは苦しみである」という 思想が根づいていたようだ。これについては、ニー チェが『悲劇の誕生』で「民衆の知恵」として、以 下のように紹介している。ミダス王が、ディオニユ ソスの従者である半人半獣の賢者シレノスを森の中 で追いかけまわし、ついに捕縛して、人間にとって 最善のことは何かと問い詰めた。シレノスいわく、   《みじめな一日だけの種族よ、偶然と労苦の子   らよ。聞かないほうがおまえにとって一番ため   になることを、どうしておまえはむりに私に言   わせようとするのか? 一番よいことは、おま   えには、とうていかなわぬこと。生まれなかっ   たこと、存在しないこと、無であることだ。し   かし、おまえにとって次善のことはIすぐ死   ぬことだ》(『悲劇の誕生』第三節)。30。  この時期のニーチェはショーペンハウアーの影響 を強く受けている。では、ショーペンハウアーは反 出生主義者だったのだろうか。 ショーペン(ウアーは反出生主義者か  ショーペンハウアーはヨーロッパにおける反出生 主義の代表者とみなされることがある。31。そうし た見解の根拠とされるのが以下の箇所である。 わたしたちは根本的には存在すべきではなかっ た何ものかであり、だからこそ存在することを やめるのだ(Wir sind im Gru乱e etwas「 das nicht sein sollte: darum horen wir auf zu sein)。32。 したがって、生存はともかく一つの迷妄と見る べきものであって、ここから立ち返ることがす なわち救済にほかならない(Demnach ist allerdings das Dasein anzusehen als eine Veriヨing「 von welcher zuriickzukommen Erlosung i巳。〔中略〕実際 のところわたしたちの生存の目的と称すべきも   のは、わたしたちは存在しなかったほうが善   かった、という認識にほかならない(AlsZ乏ck   unseres Daseins ist in der Tat nichts anderes anzugeben「   als die Erkenntnis( dafi wir besser nicht da waren)。33。  たしかにこれらのことばには、反出生主義的な響 きを聴き取ることができるだろう。ショーペンハウ アーはごく広義の反出生主義者ないしその先駆者だ と見なすことができるかもしれない。ただし、細か く見ていけば、現代の反出生主義の主張とのちがい も明らかになってくる。  最初の引用では「死」がテーマになっていて、わ たしたちは「存在すべきではなかった何ものか」だ からこそ、ずっと存在していることはできない、当 然いつかは存在しなくなるのだということが言われ ている。「根本的には存在すべきではなかった」と いうのは、日常的な意味で「悪」だということでは ない、ということだと解釈できる。これは、窃盗や 殺人などを犯罪行為として取り決めるときの法律が 定める「悪」ではない。また、浮気や嘘を責めると きの道徳的な「悪」とも次元が異なる。もっと根本 的な次元においてわたしたちの存在は「悪」であり、 その意味でのみ存在しないほうがより「善」である、 ということなのである。  すなわち、二つ目の引用で言われているとおり、 ショーペンハウアーにとって存在が「悪」であるの は、それが「迷妄」だからだ。わたしたちは生きよ うとする意志に支配されて、幻影を追いかけてし まっているのである。「表象としての世界」を唯一 無二の本当の世界だと思い込んでしまうこと。その 中でのルールにしたがって、欲望を満たそうと頑張 ることだけが正しいことだと信じ込むこと。それが 「迷妄」である。「表象としての世界」の内に生存し ているかぎり、この「迷妄」は決して避けられない。  それでもなお、ショーペンハウアーの哲学は、 「救済」の希望を捨てていない。すなわち「意志の 否定」であり、「迷妄」からの解脱の可能性である。 ショーペンハウアーが主著で示そうとしたのは、 「共苦」の瞬間や、芸術に没入するとき、あるいは 宗教的禁欲によって、わたしたちは「悪」から解放 されることがあるということだった。また、晩年の ショーペンハウアーは『余録と補遺』で、心穏やか に人生を過ごす「幸福」について語っていた。 ショーペンハウアー哲学の中心にあるのはこうした 希望であり、この点で反出生主義を乗り越える可能 性さえ示しているといえるだろう。 3 「歴史的なもの」からの脱出 ショーペン(ウアーと「歴史的なもの」  ここまでにも幾度か見てきたとおり、ショーペン ハウアー哲学は後世の多くの人々に強烈な影響を与 えた。  たとえば、ワーグナーやブラームス、マーラーと いった音楽家たちだ。ショーペンハウアーは芸術の 諸ジャンルのなかで最も高位に音楽を置き、芸術的 天才の役割を強調していた。とりわけ音楽家たちに 大きな影響を与えたのは、「この世界で生きること は苦しみである」という考え方たった。  ショーペンハウアーの、虚無的で暗いと同時に、 喜劇的で愉快な世界の描き方は、小説家、詩人、脚 本家、エッセイスト、歴史家などの多くの文豪・著 述家たちにも影響を与えている(たとえばエドガー・ アランーポーや、ツルゲーネフ、ブルク(ルト、トルス トイ、エミールーソラ、アンドレージイド、プルースト、 トーマスーマンなどである)。  そして、ショーペンハウアー哲学から、後世の哲 学者たちは各自の問題意識に合致する部分を抜き出 し、大いに活用していった(エドウアルトーフォンー (ルトマンや、ニーチェ、ベルクソン、ウィトゲンシュ タインなどである)。  ショーペンハウアー哲学には多様な側面があるが、 そのなかでも高く評価すべきことの一つは、「歴史 的なもの」が盛んに重視された一九世紀ドイツに あって、むしろそれに真正面から反抗し、「歴史的 なもの」からの自由を唱えたことにあると考えられ る。  ショーペンハウアーがライバルとみなしていたの は、歴史哲学者ヘーゲルたった。ショーペンハウ アーが主著『意志と表象としての世界』を出版し、 ベルリン大学でようやく教鞭をとれるようになった 頃、ヘーゲルはすでに円熟期を迎え、当代随一の哲 学者として君臨し、その哲学は国家哲学と称される までになっていた。  ヘーゲルの哲学は、歴史の歩みを「精神の発展」 の過程としてロジカルに説明するものだった。人間 が非合理的な感情や本能に支配された幼年期から、 理性をもっだ社会の一員としてふるまうことのでき る青年へと成長するように、人類の歴史もまた発展 してきたし、完成に向かっている。フランス革命が その証左だ。だれもがこの「歴史的なもの」の領域 のなかに自らを位置づけ、人類のさらなる発展と完 成に向かう「物語」の一部として生きるべきだ。こ の「大きな物語」は、革命の時代を生きた多くの 人々にとって、希望の光に見えたのだ。だが、ヨー ロッパの多くの国々で革命の夢は破れ、ヘーゲル哲 学もまた保守反動体制のために利用されてしまう。 ヘーゲル哲学はいずれの側面も含み持っていたので ある。  ショーペンハウアーはヘーゲルの歴史哲学を毛嫌 いしていた。そもそも歴史とは何だろうか。それが 物語でもあるとすれば、はじまりと終わりがあるは ずだ。人類はどこから来て、いかなる目的地に向 かっているというのか。  ショーペンハウアー哲学の立場からすれば、歴史 を歩んでいるはずの人間もみな、生きようとする意 志に支配されている。そして、その意志にはそもそ も目的地などないのだ。「歴史的なもの」は、生き ようとする意志が目的もなく生み出した「迷妄」に すぎない。むしろショーペンハウアーが描こうとし たのは、「歴史的なもの」に回収されない自由であ り、ニーチェが言うような「超歴史的なもの」だっ たのだと考えられる。34。  「歴史的なもの」からの自由  一八三一年にヘーゲルがコレラに倒れた後、いよ いよドイツ哲学は「アイデンティティの危機」に 陥った。35。もはや哲学の語る「大きな物語」は信 頼できない。歴史を語る以外に、哲学は何をすれば いいというのか。こうした危機の背景には、自然科 学の発達があった。自然科学の方法と成果だけが 「事実の世界」を明らかにし、人類の発展を導いて いく。もはや哲学には、従来のような科学の基礎づ けという役割もあまり期待されなくなっていたので ある。  この時代、哲学の手を離れた歴史学は、科学とし ての歩みを開始していた。歴史は思弁的に語られる 「大きな物語」ではなく、実証可能な客観的事実の 探究の成果であるべきだ。このように考えた研究者 たちによってである。一九世紀は「科学の時代」と 呼ばれるが、これは自然科学の発展だけを指すので はなく、歴史学のような領域さえ科学として営まれ るようになった、ということを意味している。  そのなかでも、歴史学の成立にはとりわけ大きな 意味がある。ヘーゲルの死後、「歴史的なもの」は 影をひそめるどころか、すっかり姿を変えて、歴史 主義と呼ばれる一九世紀ドイツ思想における最も大 きな議論の磁場の一つを形成していったのである。 歴史主義とは、概して、人間が生み出すものはすべ て歴史の産物である、という立場のことだ。歴史の 外部など存在しない、一切は歴史の内にあるという 一つの世界観の提示でさえある。そうして歴史主義 は人間のすべての歩みを「歴史的なもの」に飲み込 み、「超歴史的なもの」(すなわち歴史の外部にいる神 や、イデアのような形而上学的実在)の領域を減少さ せ、あらゆる物事を歴史のうちに相対化していく大 きなうねりとなったのである。  これは決して他人事ではない。現代日本社会に生 きるわたしたちもまた、そもそも歴史のはじまりや 終わりを設定できていないにもかかわらず、「より エコロジカルな社会」や「持続可能な発展」のため に貢献するべきだと言われ、その実現に向かう「歴 史的なもの」のうちに自らを位置づけさせられ、い つのまにか動員されている。   一八四四年、ショーペンハウアーは主著『意志と 表象としての世界』続編を刊行した。「哲学の危機」 が叫ばれる「科学の時代」にあって、「歴史的なも の」を求める時代の空気を十分に呼吸しながらも、 彼が再び世に問うだのは、他の哲学者たちが気にも 留めなかった、いかに生きるべきかという実存的な 問題たった。すなわち、わたしたちを駆り立てる 「危機」や「科学」、「歴史」などの一切から、いか に自由になるか。 居場所なきものの居場所  ショーペンハウアーの哲学を学ぶことで、わたし たちは心のなかにシェルターのようなものをしつら えることができるといえる。そのシェルターは、 「生きようとする意志」から、「意志」が生み出す一 切の「迷妄」から自由な場所を心の内に確保してく れるものだ。  わたしたちは日々、当たり前のように頑張って生 きている。自分のため、家族のため、友人や仲間の ために頑張っている。学校で学び、オフィスで働き、 社会の一員としてふるまう。あるいは、日本やその 他の地域を豊かにするため、さらには地球全体のた めに頑張つているひともいることだろう。文化を愛 し、経済を活性化させ、気候変動問題に対処しつつ、 将来の人類社会をさらに発展させていくために尽力 しているのかもしれない。  わたしたちは、現状を理解し、過去を引き継ぎ、 未来に向かって努力していく、そうした「歴史」の 一幕を生きている。わたしたちは必ず「歴史的なも の」のなかのどこかに所属し、何者かであることを 求められる。そうして「生きようとする意志」を肯 定するのである。  だが、ショーペンハウアーによれば、こうした 「歴史的なもの」の一切は、「迷妄」にすぎない。わ たしたちは、生きるとはどういうことなのかを哲学 的に考えることを通じて、「歴史的なもの」の手か ら逃れ、それを生み出している「生きようとする意 志」を喝破して、「意志の否定」という真理に至る べきだ。それがショーペンハウアーのメッセージで ある。もちろん、彼は「哲学者アルトウールー ショーペンハウアー」としての役割を自覚しながら、 一九世紀ドイツのフランクフルトの街を堂々と闊歩 していた。ただしそれは「意志の否定」にもとづく 処世の哲学のなせる業であり、彼の心は、いかなる 時代、いかなる国にも居場所を持たずとも不動の自 由を勝ち得ていたのである。 おわりに  人生は苦しみである。それが本書の出発点たった。 誤解のないよう言っておきたいのだが、筆者は今幸 せに生きている。ただし、これは主観的な思い込み、 「迷妄」にすぎないのかもしれないとも思っている。 ショーペンハウアーの言うように、客観的に考えて みるなら、人生の本質は苦しみなのだとも思う。  わたしたちは誰しもが、無限の欲望に駆り立てら れ続け、人生のどこかで完全な満足に至ることなど ありはしない。なるべく真面目に生きよう、善人で あろうと努めていても、どこにでも無理解な他者は いるし、災害や病が理不尽に襲ってくる。何を成し 遂げようとも、いつか必ず死が訪れる。  ショーペンハウアーの考えには、やはり真実があ る。だからといって、幸せを感じて生きているひと を軽蔑したり、今の自分の幸せをわざわざ否定した りする必要はない。むしろ「今わたしは幸せだ」と いうことと、「人生は本質的には苦しみだ」という ことは、両立しうるのではないだろうか。  人生が本質的には苦しみであっても、個々の場面 では、さまざまな仕方で幸せを見出すことができる だろう。そして、それが思い込みにすぎなくとも、 幸せを感じられるからこそ、わたしたちはなんとか 生きていくことができる。たとえば筆者は、見知ら ぬひととの出逢いや、日々異なる顔を見せてくれる 家族との時間、行ったことのなかった場所への旅路、 新たな仕事や学びの機会に恵まれるたびに、少しず つとはいえ、たしかに面白味を感じることができて いる。生きていれば面白いことがあると思える。こ れがもしかしたら筆者の「内面の富」なのかもしれ ない(第三章第三節)。そういうわけで、なるべく長 く生きていたいと思えるくらいには、筆者は幸せで ある。読者のあなたにも、きっとなにがしかの「内 面の富」があるのではないだろうか。それをことば にして教えてくれるような、大切に育ててくれるよ うなだれかがあなたのそばにいることを願っている。 それが幸せの源泉の一つなのだろうと思う。  はたして、そもそも幸せとはI体何だったか。主 観と客観はどう関係しているのか。本書ですでに考 察してきたこれらの問いが再び心に浮かんだ読者も いるかもしれない。おそらく非常に頭脳明敏で、哲 学的な問題について自分で考える習慣のある方なの だと思う。  哲学を学ぶと、心の中のモヤモヤを哲学的な問い のかたちにすることができるようになる。哲学には、 多くのひとがなかなか言語化できずに苦しんでいる 悩みの種を、問いのかたちに変え、学びの種にする 力がある。モヤモヤを哲学的な問いに変換できたと き、わたしたちの心は不思議と晴れやかになり、そ の問いをめぐって自ら考える探求へと向かうことが できるようになる。知を愛する営みである哲学が伝 統的に「魂の世話」と呼ばれ、心をケアする働きが あると言われるのはこのためだろう。本書で紹介し たショーペンハウアーの思想が、哲学的に考えるこ との素晴らしさを知るきっかけの一つとなれば幸い である。  なお、註釈に示したとおり、本書の内容のほとん どは筆者の独創ではなく、先行研究の議論を引き受 けることを試み、その成果をふんだんに活用して書 かれたものである。目を引くところがあるとすれば 先人の功績であり、まずいところがあるとしたら筆 者の勉強不足である。解釈に異論があればぜひご指 摘いただき、学びの機会をいただきたいと思う。  筆者はこれまでニーチェ哲学研究に重きを置きつ つ、ショーペンハウアーについても興味を持って研 究してきた。筆者が大学院生の頃から、その歩みを 温かく見守ってくださっている日本ショーペンハウ アー協会の皆様に、深く御礼申し上げたい。本書を 通じてより多くの読者にショーペンハウアーが読ま れるようになれば、わずかぽかりでも皆様への恩返 しになるのではないかと考えたのが、本書執筆の大 きな動機の一つである。  そして、ご多用な中にもかかわらず原稿に目を通 し、適切なアドバイスと出版に向けての勇気をくだ さった齊藤智志氏、竹内綱史氏、研究会などの場で 共に学びを深めてくださっている皆様に、心より感 謝申し上げたい。  そもそも本書は、講談社の小林雅宏氏にお声がけ いただいたことで、はじめて執筆に至ったものであ る。その後も逐一相談に乗ってくださり、出版に向 けて共に歩みを進めてくださった。篤く御礼申し上 げたい。  最後に、人生は苦しみだと断じるこの奇怪な本を 手に取ってくださったあなたの勇気とユーモアに、 心からの感謝と敬意をお伝えしたい。           二〇二二年八月 梅田孝太 註釈一覧 第一章 *1 本章執筆にあたって以下の文献を参照した。    各文献の詳細は読書案内に掲載。アーベント    ロート(一九八三)、鎌田康男(二〇〇七)、    サンス(一九九四)、サフランスキー(一九    九〇)、遠山義孝(一九八六)。また、David    E. Cartwright(2017)「 "Becoming the Author of    World as Will a乱Representation:    Schopenhauer's 」ife and Education 1788-18←8”「    in: The Palgrave Schopenhauer handbook「 ed.    Sandra Shapshay「 Palgrave Macmillan. *2 図像: Schopenhauer in 1815. By Johann Chris    Tian Ruhl. Gettyimages. *3 二〇匸一年の映画『レーミゼラブル』(ト    ムーフーパー監督、ヒュー・ジヤツクマン主    演)を視聴するとイメージしやすい。 *4 A. Schopenhauer「 Der handschriftliche NachlaB.    4-1「 die Manuskriptbiicher der Jahre 1830 bis    ←S9nぎ町与粍ミ拠心)ぶ瓦沼]’}{『品’?    Hiibscher「 Waldemer Kramer「 Frankf耳t am Main「    1974. S. 96.訳出に当たって以下を参考にした。    須藤訓任「哲学者の揺籃-ショーペンハウ    アー母子の旅日記 1803‐1804」、    『哲学論叢』三七号、京都大学哲学論叢刊行    会、二〇一〇年。一四頁。 *5 本書ではショーペンハウアーの生涯の全体を    詳細に扱うことはできない。ぜひザフランス    キー(一九九〇)も参照してほしい。 *6 鎌田康男(二〇〇七)。 *フ ショーペンハウアーはペシミストであるより    もリアリストだといえる。斎藤智志「ショー    ペンハウアーはペシミストか?」『ショーペ    ンハウアー読本』、法政大学出版局、二〇〇    七年。六三頁。 *8 サフランスキー、上掲書、一七四頁。 *9 nR肖艮ぼ(回七)≒’Q弓 *10 フィヒテの「知識学」は英語ではScience of    Knowledgeだが、ショーペンハウアーの言い    回しに従うならScience ol Nulledgeになる。    Cf.「 Cartwright「 p. 23. *‥1111 この学位論文第一版で開示されたショーペン ハウアーの超越論哲学に光を当て、その枠組 みを主著の解釈にあたっても重視するべきだ とする研究が日本の研究者たちによつて進め られてきた。その成果については以下を参照。 アルトウールーショーペンハウアー『ショー ペンハウアー哲学の再構築-「充足根拠律 の四方向に分岐した根について」(第一版) 訳解〈新装版〉』、鎌田康男ほか訳著、法政大 学出版局、二〇一〇年。また、上掲の 『ショーペンハウアー読本』も参照のこと。 従来のショーペンハウアー研究では第二版    二八四七年)を参照するのが通例だったが、    今日では、第一版を参照してはじめてショー    ペンハウアー本来の素朴に「物自体」を想定    しない超越論哲学が明らかになるのだという    立場での研究が充実してきている。 *12 Iハニ(年、ショーペンハウアーはゲーテが    二〇年もの間色彩論に取り組んできたことを    知りつつ、ゲーテの賛同をついに取りつけな    いままに『視覚と色彩について』を出版した。    なお、ショーペンハウアーの色彩論への関心    は生涯変わらぬものだった。一八三〇年には    『視覚と色彩について』のラテン語訳    (Theoria colorum Physiologica「 eademque    primaria」を学術雑誌に掲載した。また、一    八五一年の『余録と補遺』第二巻には、ゲー    テ生誕一〇〇年を記念したフランクフルトー    ゲーテーアルバムヘの寄稿文と「色彩につい    て」という論考を収録している。 *13 『書簡集』(Gesammelte Briefe「 hrsg. Von Arthur    Hiibscher「 Bouvier「 1987( S. 654)も参照。 *14 サンスクリット語で書かれたバラモン教の聖    典にして古代インド哲学の「奥義書」である    ウパニシャッドの一部が、一七世紀にムガル    帝国の王子ダーラシャコーの指示によってペ    ルシア語に訳出されたものを『ウプネカッ    ト』と呼ぶ。これをフランスの東洋学者アン    クティルーデユペロンがラテン語訳したもの    をショーペンハウアーは手にした。 *15 Marie-Elisabeth de Polier(1809)匸\tythologie des    Indous「 Roudolstadt et Paris. *16 Urs App(2006)「 "Schopenhauer's Initial    Encounter with Indian Thought「” in:    Schopenhauer-Jahrbuch 87「 S. 35-76. S. 57. *17 正確にはこの後『自然における意志につい    て』の改訂増補版などの刊行もあるが、まと    まっだ著作としては『余録と補遺』が最後と    なった。 第二章 *18 本書で主著を引用する際には、以下の邦訳を    参考にした。『ショーペンハウアー全集』、白    水社、一九七二~七五年。『意志と表象とし    ての世界』、中公クラシツクス、二〇〇四年。    主著正編からの引用の際には中公クラシック    スの頁数を、続編からの引用の際には白水社    版全集の頁数を付した。 第三章 *19 国内では白水社版全集に収録。なお、各論稿    のタイトルには適宜変更を加えている。 *20 鈴木芳子訳、『幸福について』光文社古典新    訳文庫、二〇一八年。本稿での引用の際、適    宜変更を加えながら同書を参照して訳出した。    また、読者が参照しやすいように同書の頁数    を「邦訳○頁」と付す。 *21 図像: Schopenhauer目d Butz. Von Wilhelm    Busch. Gettyimages. *22 し髻E冖nRS品ぼ(回S)゛謚4亀2こ吋右回り    of Schopenhauer's Philosophy「 Scarecrow Press{    ?}u? *23 以下を参照。『読書について 他二扇』、斎藤    忍随訳、岩波文庫、一九八三年。Vg」「    Niircher Ausgabe「 Werke in 10 Banden( I)ぎ卸り⇒Qy    ←977. Bd. X「S.538f. *24 以下を参照。『ショーペンハウアー 随感録』、    秋山英夫訳、白水社、一九七八年。Vg」「    Niircher Ausgabe Bd. X「 S.638f. *25 同上。Vsl.。 Zurcher Ausaabe Bd. X「 S.655. 第四章 *26 本節執筆にあたって以下の文献を参照した。    各文献の詳細は読書案内に掲載。井上克人    (二〇〇七)、茅野良男(一九七五)および    (二〇〇九)、兵頭高夫(一九九〇)、藤田正    勝(二〇一八)。 *27 この定義を示すにあたって、以下の文献を参    照した。森岡正博『生まれてこないほうが良    かったのか? -生命の哲学へ!・』、筑摩    書房、二〇二〇年。 *28 {}avid Benatar(2006)「 Better Never to Have Been:    The Harm of Coming into Existence( Oxfc)rd    University Press. (邦訳一デイヴィッド・ベ    ネター『生まれてこないほうが良かったI    存在してしまうことの害悪』、小島和男・田    村宜義訳、すずさわ書店、二〇一七年)。 *29 生まれてこないほうが、苦しみを味わう生命    は存在しないので、より「よい」。この考え    方は、反生殖主義(「人間は子供をつくらな    いほうがよいしや絶滅主義(「人間は滅んだ    ほうがよいしといった主張につながってく    る。反出生主義=反生殖主義とみなされるこ    ともあるが、本書ではこれらをすでに生まれ    てしまった者の問題とこれから生まれてくる    かもしれない者の問題として区別し、ショー    ペンハウアーが主に論じていると思われる前    者についてのみ扱うことにする。 *30 ニーチェ『悲劇の誕生』、秋山英夫訳、岩波    文庫、一九六六年。四四頁。 *31 森岡正博、上掲書、一一三頁を参照。 *32 主著続編第四一章、白水社版全集第七巻、邦    訳七七頁。WII「 Bd. II「 Kap. 41. S. 649    (?町rヨ麥 *33 主著続編第四八章、白水社版全集第七巻、邦    訳二二六頁以下W II。 Bd. II。 Kap. 48. S. 775「    suhrkamp. *34 「超歴史的なもの」についてはニーチェの    『反時代的考察』第二論文「生に対する歴史    の利害」を参照。 *35 以下を参照。H・シュネーデルバッハ『ドイ    ツ哲学史1831-1933 Jf舟山俊明ほか訳、法    政大学出版局、二〇〇九年。また、Frederick    C. Beiser (201参After Hegel: German    Philosophy 1840-1900「 Princeston University    Press. 読書案内  ショーペン(ウアーの著作 ・『ショーペンハウアー全集』、全一四巻・別巻一冊、  自水社、初版一九七三~七五年(一九九六年、二  ○○四年復刊) ・『意志と表象としての世界』、全三巻、西尾幹二訳、  中公クラシックス、二〇〇四年   *以下、『余録と補遺』からの抄訳 ・『幸福について』、鈴木芳子訳、光文社古典新訳文  庫、二〇一八年 ・『読書について』、鈴木芳子訳、光文社古典新訳文  庫、二〇一三年 ・『幸福についてI人生論』、橋本文夫訳、新潮文  庫、二〇〇五年 ・『読書についてI他二篇』、斎藤忍随訳、岩波文  庫、一九八三年 ・『自殺についてI他四篇』、斎藤信治訳、岩波文  庫、一九七九年 ・『ショーペンハウアーー随感録』、秋山英夫訳、  白水社、一九七八年(新装版一九九八年) ・『知性についてI他四篇』、細谷貞雄訳、岩波文  庫、一九六一年  哲学的な議論について知るための優れた入門書 ・トマスーネーゲル『哲学ってどんなこと?-  とっても短い哲学入門』、岡本裕一朗・若松良樹  訳、昭和堂、一九九三年 ・大森荘蔵『流れとよどみI哲学断章』、産業図  書、一九八一年   *ただし、哲学的な議論が卓越したものである    ためには、先人の議論を引き継ぎ、正確なこ    とばづかいを学ぶ必要がある。この意味で哲    学を学ぶことは歴史の勉強であり、けっして    哲学史を疎かにはできない。また、ショーペ    ンハウアー哲学を学ぶにはカント哲学にも人    門する必要がある ・『哲学の歴史』シリーズ、中央公論新社、二〇〇  七~○八年 ・『世界哲学史』シリーズ、ちくま新書、二〇二〇  年 ・御子柴善之『自分で考える勇気-カント哲学人  門』、岩波ジュニア新書、二〇一五年  ショーペン(ウアー入門書 ・竹内綱史「第三章 西洋批判の哲学」、『世界哲学  史7 近代H-自由と歴史的発展』所収、ちく  ま新書、二〇二〇年 ・斎藤智志「生と哲学 ショーペンハウアー  ー〈戦い〉としての哲学的生」、『ヨーロッパ現  代哲学への招待』所収、梓出版社、二〇〇九年 ・鎌田康男「ショーペンハウアー」、『哲学の歴史  9-反哲学と世紀末』所収、中央公論新社、二  〇〇七年 ・遠山義孝『人と思想77 ショーペンハウアー』、  清水書院、一九八六年  ショーペン(ウアー哲学の概説書および伝記 ・E・サンス『ショーペンハウアー』、文庫クセ  ジユ (自水社)、一九九四年 ・R・サフランスキー『ショーベンハウアーー哲  学の荒れ狂った時代の一つの伝記』、法政大学出  版局、一九九〇年 ・W・アーベントロート『ショーペンハウアー』、  ロロロ伝記叢書、理想社、一九八三年  ショーペン(ウアー哲学の研究書 ・斎藤智志・高橋陽一郎・板橋勇仁編、『ショーペ  ンハウアー読本』、法政大学出版局、二〇〇七年   *ショーペンハウアーの認識論、自然哲学、倫    理学、芸術論、宗教論など多岐にわたるト    ピックについての研究書 ・G・ジンメル『ジンメル著作集 第五巻-  ショーペンハウアーとニーチェ』、吉村博次訳、  白水社、一九七五年(新装復刊、二〇〇四年)  ショーペン(ウアーの学位論文について研究する  際の必読書 ・鎌田康男・斎藤智志・高橋陽一郎・臼木悦生訳著  『ショーペンハウアー哲学の再構築〈新装版〉』、  法政大学出版局、二〇一〇年  ショーペン(ウアー哲学における観念論と実在論  の矛盾についての研究書 ・高橋陽一郎『藝術としての哲学-ショーベンハ  ウアー哲学における矛盾の意味』、晃洋書房、二  ○二(年  ショーペン(ウアーの実践哲学および政治思想に  ついての研究書 ・伊藤貴雄『ショーペンハウアー 兵役拒否の哲学  -戦争・法・国家』、晃洋書房、二〇一四年 ・遠山義孝、上掲書  ショーペン(ウアーの自由論についての研究書 ・板橋勇仁『底無き意志の系譜-ショーベンハウ  アーと意志の否定の思想』、法政大学出版局、二  ○二(年  ショーペン(ウアーの倫理学についての研究書 ・ミヒヤエルーハウスケラー『生の嘆きIショー  ベンハウアー倫理学入門』、峠尚武訳、法政大学  出版局、二〇〇四年  ショーペン(ウアーとインド哲学とのかかわりに  ついての研究 ・『ショーペン『ウアー研究』第三号(湯田豊  「ショーペン「ウアーとインド哲学」、一九九七  年)、第六号(橋本智津子「ショーペンハウアー  とウプネカットーウプネカットにおける自己認  識の問題を中心に」、二〇〇一年)、第九号(松濤  誠達「ウパニシャッドとは何かIショーペンハ  ウアーの理解をめぐって」、二〇〇四年)、日本  ショーペンハウアー協会 ・湯田豊『ショーペンハウアーとインド哲学』、晃  洋書房、一九九六年 ・兵頭高夫『ショーペンハウアー論-比較思想の  試み』、行路社、一九八五年  日本におけるショーペン(ウアー受容についての  研究 ・茅野良男「日本におけるショーペンハウアー」、  『ショーペンハウアー全集 別巻』所収、自水社、  一九七五年(新装復刊一九九六年) ・『ショーペンハウアー研究』第二一巻(井上克人  「明治期におけるショーペンハウアー哲学の受容  についてI井上哲次郎、R・ケーベル、三宅雪  嶺に見る本体的匸兀論の系譜」、二〇〇七年)、第  一四巻(茅野良男「日本におけるショーベンハウ  アーの受容とその課題「その匸」、二〇〇九年)、  日本ショーペンハウアー協会 ・兵頭高夫「日本におけるショーペンハウアー受容  の問題-ケーベルを中心に」、『武蔵大学人文学  会雑誌』二一巻第一号・第二号、一九九〇年   *より広く日本における西洋哲学の受容につい    ては以下を参照 二膝田正勝『日本哲学史』、昭和堂、二〇一八年 ToP画像写真: Gettylmages アルトウールーショーペン(ウアー 19世紀ドイツの哲学者。1788年、ダンツィヒ生まれ。富柑な貿易商である父と女流 作家である毋のもとに生まれる。父に連れられて幼少期からヨーロッパ諸国を旅行し、 その経験が世界観・哲学観に影響を与える。父の死後、1809年よりゲッティングン 大学で自然科学・哲学を学ぶ。1819年に主著『意志と表象としての世界』を刊行し、 1820年ベルリン大学の私講師となった。ショーペン(ウアーの名が世に・認められる きっかけになったのは1851年に刊行された晩年の著『余録と補遺にてあり、日本では t読書について≒自殺について‰知性について』などの抄訳で広く胱まれている。戦前日 本の若者たちには「デカンショ」として、デカルト、カントと並んでショーペン(ウアー はよく読まれていた。 梅田孝太(うめだこうた) 1980年東京都生まれ。博士(哲学)、上智大学大学院哲学研究科博士後期課程単位取 得退学。現在、上智大学特任助教。専門は哲学・倫理学、クリティガルシンキング。著書に ごTチェー外なき内を生きる思想』(法政大学出版局、2021年)、共著書にJアリダ と死刑を考える二高桑和巳秡著、白水杜、2018年)、共訳書に『暴力-手すりなき 思考』(R・J・バーンスタイン著、斎藤元紀監訳、法改大学出版局、2020年Y'人文主藁 の言語思想-フンボルトの伝統』(J・トラバント著、村井則央ほか監訳、岩波書店、 2020年)なとがある。 本作品は、二〇二二年九月、小社より講談社現代新 書として刊行されたものを電子書籍化したものです。 ○本電子書籍内の外部リンクに関して  ご利用の端末によっては、リンク機能が制限され  正しく動作しない場合があります。また、リンク  先のwebサイト、メールアドレス、電話番号は、  事前のご連絡なく削除あるいは変更されることも  ございます。ご了承ください。 いま い  しそう 今を生きる思想 ショーペン(ウアー 欲望にまみれた世界を生き拔く 二〇二二年一〇月一日発行 著者一梅田孝太 回Kota Umeda 2022 発行者 鈴木章一 発行所 株式会社講談社     東京都文京区音羽ニー匸Tニー     〒112-8001 ○本電子書籍は、購入者個人の閲覧の目的のためにのみ、ファイル の閲覧が許諾されています。私的利用の範囲をこえる行為は著作権 法上、禁じられています。                               2280901E                                   ()←